PHOTO 2008.6.14 UP2008.6.22
By.さわらびY(ゆみ)
やはり、会津若松へ来るとなると、飯盛山へも案内されました。
勝者の藩閥政治が終わった大正15年、ムッソリーニが白虎隊士を賞賛し、ポンペイ遺跡石柱を贈与したのを機に、整備された白虎隊士の墓地。
敗者への差別とそれに対する深い恨みとともに伝えられた白虎隊哀話の舞台は、軍国主義のための忠君殉国伝説と商業観光の目玉に化していきました。( ⇒大山格HP)
会津さざえ堂は飯盛山正宗寺の六角三層の堂、三十三観音巡りのできるらせん状のお堂として1796年建立。↑
会津戦争の後、、廃仏毀釈で朽ちるままに時をすぎ、明治23年白虎隊士像を安置して経済的に維持してきたらしい。 今は「皇朝二十四孝」絵額のみ。
←明治37年、隊士像は入場料への批判から宇賀神堂(厳島神社の傍社として寛文年間に建立)に移された。
飯盛山は 弁天が祀られた神仏習合の霊域だった。
猪苗代湖の水を会津盆地に引く戸ノ口堰洞窟↑(水の少ない秋、白虎隊が逃げてきたという)
初夏の会津〜郡山への旅 4 飯盛山のもう一つの顔