2008.2.3 by.さわらびY(ゆみ)
発掘された「御先手組」屋敷跡
2008.2.2 東京大学 追分新国際宿舎建設予定地 発掘調査見学会にて
東京大学埋蔵文化財調査室より、東京大学追分学寮跡地の発掘調査見学会のお知らせをいただき、2008年2月2日、現地に行ってきました。
学生寮が取り壊された跡地に留学生用の新しい宿舎を建てる工事伴う調査で、場所は、東大前の「日光御成街道」(本郷通り)を駒込方向に進んだ向丘1丁目三叉路の先。
江戸時代に幕府の下級武士の「御先手組」屋敷があった場所とか。
近くの向丘高校敷地の南側の調査では、江戸時代の「駒込鰻縄御先手組屋敷」の遺跡が発見されたそうです。
「先手」とは、先陣・先鋒という意味で、戦闘時には徳川家の先鋒足軽隊を勤め、江戸時代の平時は江戸城に配置されている各門の警護、将軍外出時の警備、江戸城下の治安維持等を勤めたといいます。
見学会のこの日は、明日は雪かと予想される底冷えの午後でしたが、新聞の都内版記事にも載ったそうで、近くのボーイスカウト文京第3団の少年たちや、デジカメ片手の考古少年たちが大勢訪れていて、係りの担当者を質問責めにしていたのが、印象的でした。
東京大学埋蔵文化財調査室の原祐一先生に熱心に質問
地下室に挟まれた建物跡(No.232)の礎石、お堂のような正方形です。
このような地下室がたくさんあります。奥の丸い筒状の遺構は井戸。
地下室は、日常品の保管場所、火災の時の避難場所、植木屋さんの温室用など・・そして最後は廃棄物処理用と多目的?
A・B・Cの3工区に分けて発掘しています。
今回公開されたのは真ん中のB工区。
表層は1m掘削され、東大の本郷構内の工事の瓦礫で盛り土されていた。少年たちにとってはこれも興味の対象のようです。
これはやや小さめの地下室
とにかく穴からは、いろいろな生活用の陶磁器などが出てくるようです。
少年たちの目を奪ったのは、おそらく深く掘られたたくさんの江戸時代の地下室(むろ)でしょう。
遺構は、このほか井戸や畑の畝の跡、ゴミ穴、建物の跡など。
地下室やゴミ穴からは、たくさんの植木鉢(瀬戸物の甕の底を後から穴をあけたりっぱなもの)や酒屋でお酒を買う時の通い徳利(近くの酒店高崎屋の銘入り)、土製人形、皿や茶碗などの飲食用陶磁器、化粧用品を入れた陶磁器、土器製燈明具、塩壺、キセル、剪定ばさみなど生活に密着した遺物がびっくりするほど多数見つかっていました。
底に穴をあけた瀬戸物の植木鉢がいっぱい
通い徳利もいっぱい。高崎屋の名入りです
塩壺(塩焼き用)や燈明皿
紅入れや油壺など化粧品の容器
中に仕切りのある片口、薬でも煎じたのでしょうか
安産のお守り?土製の赤ちゃん人形
大きさはペンより短かく数cm位
配布資料によれば、「御先手組」屋敷と寺院、町屋が混在したこの界隈が「駒込鰻縄手」と呼ばれたのは、植木職人、植木屋が多く、「植木縄手」「苗木縄手」が訛って「鰻縄手」となった説や、道が斜めにうねっているからという説があるそうです。
組屋敷や大縄地などの武士の拝領地に、町人が混住することはご法度だったそうですが、植木屋がいたらしいこの組屋敷跡のように、発掘調査や文書調査の結果、実際の居住者と土地利用の実態は様々のようで、今後の研究課題として注目されます。
私にとっても発掘調査の見学は縄文〜古代〜中世がほとんどで、近世のこのような発掘調査は珍しく、とくに土製人形や使い方のわからない食器など楽しいものばかり。また大きな地下室が累々と検出されている姿もちょっと驚きでした。
特に今回の調査では、「東京大学史」の観点から旧追分学寮跡も調査対象として、明治から現在までの歴史解明を目的にし、また、この日の説明会のように「文化財の保護と活用」の理念から、調査の公開と研究成果の還元に努力されています。
現在、調査は3分の2の範囲が終わりつつあるところ、この先まだ2月末まで続くそうで、平日の昼間なら、どなたでもご案内しますとのこと。今後の調査の結果も期待しましょう。
本郷通りに面した塀には、調査の様子や発掘でわかったことを
たくさん展示し、積極的に住民の方に情報公開しています。
(内容はクリックして見てください)
2009年5月31日の日本考古学協会第75総会で原祐一さんがポスター発表された
「文化資源としての考古資料−東京大学における考古資料の教育活用の実践−」(PDF 2.47MB)