2008.2.24 by.さわらびY(ゆみ)


平成20年2月17日

八福神設置20周年記念

再発見八千代・八福神めぐり
 平成20年(2008)2月17日(日) 八千代市立郷土博物館と八千代市郷土歴史研究会との共催で、「開設20周年記念 再発見八千代・八福神めぐり」が行われました。

 「人々が昔から日々の幸せを願って神仏に加護を求め、生業を重ねてきたことに思いを馳せて八福神を巡り、併せて諸寺院の石造物等の文化財を鑑賞し、信仰文化をとおして郷土の歴史を学ぶ機会とする」という趣旨で、募集に応募し抽選で当選した一般の市民の方々へ、八千代市郷土歴史研究会の会員メンバーが見所案内人として、八福神を祀る寺院の歴史的な見どころも解説、ともに地域の歴史・民俗・史跡への知識と理解を深めました。

◇◆◇八千代八福神について◇◆◇


◇ 「八千代八福神」は、「八千代市郷土歴史研究会」が「八千代市にも七福神めぐりを設置しよう」という企画を立て、流山・九十九里・墨田川七福神などを実踏・調査、学習を重ね、市の観光とレクレーションを目的として設置するのが望ましいとの結論で、「八千代市仏教連合会」に働きかけ、同会の尽力で1989(平成元)年11月に実現しました。

◇ 「七福神」とは七福神の福徳の神。 「七難滅 七福即生」という言葉に基づき、室町時代の中期に成立したそうで、大黒天・蛭子(えびす)・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋・祀ります。

 七福神の神名は必ずしも一定でなく、弁財天の代わりにアメノウズメノミコトを入れたり、福禄寿・寿老人を一括して南極老人とし、吉祥天を加える説もあります。

 この七福神を巡拝する「七福神めぐり」は、江戸時代の後半、文化・分政期に盛んになり、正月の初詣や立春の日にハイキングを兼ねたレクレーション活動でもありました。

◇八千代市では八千代の「八」にあやかって八福神を設置する計画をたて、室町時代の七福神に、毘沙門天の妃、また生物すべての女神である吉祥天を加え、吉祥天・大黒天・福禄寿・弁財天・毘沙門天・寿老人・恵比寿・布袋尊の「八千代八福神」としました。

 ちなみに、吉祥天・大黒天・弁財天・毘沙門天はインドのヒンズー教の神様、福禄寿・寿老人は中国の神様、布袋尊は中国に実在した僧、恵比寿は日本の神様、というわけで、とてもインターナショナルな組み合わせなのです。

枠付きの小さい画像は、クリックすると大きな画像がホップアップします。(期間限定)
 

T 村上 正覚院 毘沙門天



 「おしどり伝説」と鎌倉時代の清涼寺式釈迦如来像のある古刹。
 毘沙門天像は、釈迦堂の外右奥に新しい石像があるが、釈迦堂内にも、釈迦如来像脇に近世の木像が祀られている。
 境内には、中世の土塁や堀跡が残り、武士の館跡をしのばせる。 墓地の宝筺印塔は市内最古。



おしどり伝説の情景を忍ばせる弁天池

中世の宝筺印塔
U 萱田 長福寺 寿老人



 山門が赤く塗られていることから「萱田の赤寺」と親しまれているお寺。
 境内の日記念仏塔は、寛文9年(1669)に建立された三層の珍しい石造物。右隣には宝暦13年(1763)建立の石塔など見るべきものが多い。



赤い山門

月待講の石塔などの古い石造物

長福寺本堂
V 米本 長福寺 弁財天



 入口に「不許薫酒入山門」の戒壇石のある禅宗のお寺。弁天池がもとあった所に小さな祠があり、かわいい弁天像がまつられている。
 本堂背後の山の上の墓地には、自害した米本城主の村上綱清の墓と伝えられる五輪塔がある。

弁財天を祀るお堂
「禁藝術売買之輩」の碑をみる

鐘楼のある山門
村上綱清の墓と伝えられる五輪塔

W 保品 東栄寺 福禄寿



 「保品」の地名「星名郷」として文和二年(1353)の「室町幕府御教書」にその名が確認できる。
 本尊不動明王を祀る本堂、そしてその左に2002年に改修された薬師堂がある。
 秘仏の薬師如来像(江戸時代か?)は、頭髪が清涼寺式の縄目状。村上の正覚院の縁起では、保品から正覚院へ本尊の清涼寺式釈迦如来像が来たと伝承されている。

   ⇒「保品・東栄寺の薬師堂の落慶」
本堂と薬師堂
薬師堂

文政10年(1827)の宝筺印塔



X 小池 妙光寺 吉祥天



 中世から日蓮宗の盛んな旧神保領内の寺院。
 応永8年(1401)銘を含む23枚の題目板碑が隣地から出土している。





「ひげ題目」の石碑を見る



 本堂に、吉祥天の応化である美しい七面天女(七面大明神)半跏像を祀る。
 七面天女は身延山で日蓮に現れ、法華経を信ずる人々を末代まで守護すると約束したという。

Y 真木野 妙徳寺 大黒天



 真木野の地名は元徳3(1331)の中山法華経寺文書にあり、妙徳寺は、隣村の妙光寺と並ぶ日蓮宗の古刹。
 千部講や星祭りの水行会などの宗教行事が今も行われている。






 境内左手前に、大黒堂(←画像)があり、大古久様とも呼ぶ明治期に彫られた大黒天木像が祀られたきた。
 大黒天は、ヒンズー教のシヴァ神を本地とする憤怒神。
 日本では破壊と豊穣の神として信仰され、後に豊穣の面が残り、食物・財福を司る神となり、日蓮宗では室町時代から盛んに信仰された。
Z 吉橋 貞福寺 恵比寿



 戦国時代の吉橋城跡に建つ真言宗寺院。
 本堂右前に恵比寿の石像。その参道に両側に、八千代八福神の7神の石像も設置されているので、ここでミニ八福神巡りもできる。
 縁起によれば城主高木伊勢守が上杉氏の滅びたといわれ、鎮魂の「血流地蔵尊」を本尊に祀る。
 二百年前の住職存秀法印が四国霊場巡礼のミニチュア霊場を地域に創設、吉橋大師霊場として続いてきた。
 城郭遺構もよく保存されている。


   ⇒この寺院への道しるべにまつわる逸話のHP

「血流地蔵尊」を祀る本堂

徳本念仏塔などの石造物を見る

堀底道など城跡の遺構を説明

ゲートボール場の吉橋城跡

[ 高津 観音寺 布袋尊




 高津は、古代の「高津牧」に比定される地で、高津姫伝承にゆかりの高津観音を祀る曹洞宗の寺院である。
 八福神の布袋尊は、現住職が母の供養に建立。
 「布袋」を背負い太っ腹で自由闊達に生きた釈契此という中国唐末のこの僧は、弥勒の化身とも伝聞され、のちに禅僧に好まれた福神となった。


韓国式鐘楼

禅寺のかわいい小僧さん



 境内には大坂夏の陣で戦死した旧高津村領主間宮正秀の墓と霊神碑、その子孫で「新編武蔵風土記稿」などの地誌編纂をした間宮士信の顕彰碑がある。
 また、関東大震災の際に殉難した朝鮮人の霊を弔う韓国式鐘楼があり、韓国鐘が鎮魂の音を響かせている。
 高津姫を祭神としる高津比盗_社も隣接、この神社はハツカビシャを行い、また三山七年祭に参加している。

  
          ⇒高津の桜  ⇒高津の初詣風景

 底冷えのする気温でしたが、幸い風も弱く、快晴のち時々曇りの天候に恵まれた八福神めぐりでした。
 見所案内人の丁寧な解説、またそれを熱心に聴いて見学されたご参加の皆様、お疲れ様、そしてありがとうございました。
 残念だったことは、八千代八福神の設置、吉橋大師講二百年記念のシンポジウムなど郷土史研究の振興にご尽力いただいた吉橋・貞福寺のご住職・加藤孝貫師が直前の2月7日、ご逝去されたことでした。
 私たちの「再発見八千代・八福神めぐり」一向を接待してくださること楽しみにされ、お赤飯と祝い箸を記念品として事前に手配、当日全員この心づくしの記念品をありがたくいただき、感謝とご冥福をお祈りしました。
 
 二十年前に八千代市郷土歴史研究会と各寺院のご住職が心を合わせてまいた種が、こうして内容豊かな八福神めぐりとして結実していることを、改めて確認した一日だったと思います。