2004.2.28 文 By.T
PHOTO By.Y

鋸南町勝山へ 
「高橋氏文」の「浮島」伝承地を訪ねて

  『新撰姓氏録を読む会』で、『高橋氏文』をテキストに食膳奉仕を職掌としたとされる膳氏(のちに高橋氏と改姓)の実態を勉強しました。
 加藤謙吉先生は、新たな膳氏像をお示しくださっております(「磐鹿六鴈命の伝承」、『日本歴史』2003年7月号)が、ここでは省略。
 「高橋氏文」が描いている磐鹿六鴈命の伝承と、安房浮島宮のことを考えてみましょう。

 そもそも『高橋氏文』って何か?よく知られていないわけですが、『本朝月令』『政事要略』といった書物に引用されて今日に伝わる膳氏の由来を知ることのできる史料です。

 景行天皇は、皇后とともにヤマトタケルの命が平定した国々を尋ねて巡り、あるとき東国に入った。
 上総の安房の浮島宮に逗留したとき、磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)がそばに仕えた。
 天皇が葛飾野に狩に出かけた留守のこと、皇后は、ガクガクと鳴く不思議な鳥(覚駕鳥)に興味をち、磐鹿六鴈命に命じてその鳥を探させた。
 鳥を捕まえることは出来なかったものの、代わりに、堅魚と白蛤を手に入れて献上した。
 磐鹿六鴈命は、それを料理して天皇に差し上げたところ、天皇は喜び、磐鹿六鴈命に膳大伴部を賜いて、そして料理人を管轄させるような役職に付けた。
 また、上総国の安房大神を食料を捧げる神(御食津神)として奉祭した、という。
 
 ところで 『高橋氏文』に記されている以上の話自体が不思議ですが、覚駕鳥とは「みさご」という鳥のことらしい。

源頼朝上陸伝承地の石碑がある岬から浮島を望む   窓のある大ボッケと大きな浮島、手前は傾城島
 この安房浮島宮の所在地についてはいくつかの説があるようですが、伴信友は、安房国の平群郡の勝山に比定しているそうです。
 これが今日出向いた、安房郡鋸南町勝山の海中にある島=浮島のことのようです。
 伴信友というのは『高橋氏文』の研究をした江戸時代の大学者です。

 膳氏=高橋氏をテーマにしたお話では、海産物を含め食べ物の話題になります。
 天皇家に限らず、食卓をにぎわす海産の珍味はうれしいもの、今日もお昼は取れたての魚をたっぷり食べてきました。(by.T)

勝山漁港から真正面に浮島を望む
 
景勝地でもこの伝説にまつわる看板や石碑などはありません。ただ「みさご」というペンションの名前が気になりました。

参考HP: 鋸南町HP 「浮島伝説」