in 石神台貝塚にて-4
2005.4.15 By.ゆみ
縄文遺跡のある風景
上:国土画像情報1989(C)国土交通省を使用
石神台貝塚は、戸ノ内貝塚とは師戸川を挟んだ標高26.5mの台地上に在り、1939年、和島誠一により調査され、縄文後期の貝塚として知られました。

1981年の印旛村史編纂事業の学術調査では、第1地点で加曽利B式期の良好な貝層が狭い範囲ながらも克明に調査され、特に3か所中、2か所のグリッドでは、貝・魚骨・獣骨などの自然遺物のコアサンプリングの分析が行われ、貴重なデータが得られています。

一見、クロダイ・スズキが目立つ通常の発掘採集データに対し、コアサンプリングの水洗したデータでは汽水域のマハゼ・ウナギが多く、湾内の淡水化の状況を見てとることができます。

人工遺物では、土器(黒浜式・掘之内式・加曽利B式・曽谷式・安行式)、磨製石斧・磨石などの石器、骨角器や貝輪、土偶などのほか、加曽利B式の浅鉢・台付土器・小形の深鉢、粗製深鉢などが出土し、印旛村歴史民俗資料館に展示されています。

周辺からは、茅山式・加曽利E式・安行3式の土器片も採集され、早期から連綿とつづく遺跡であるらしいようです。

今も石神さまが祀られ、先史時代からつづく「シャクジ」の神が見守るなぞを秘めた遺跡です。
☆←石神台貝塚第1地点
☆←貝塚第2地点
☆←石神神社
☆←伊付集会所
↑二つ穴が開いている小形の深鉢