2003.1.18 By.ゆみ
現地見学会ルポ
発掘された鎌倉末期の寺院庭園遺構を見る
- 鎌倉市扇ガ谷「無量寺跡遺跡」 -
新春のうららかな日和と、「鎌倉時代末期の寺院庭園遺構が発掘された」というインターネットのニュースに誘われ、急遽、現地説明会に行ってきました。
場所は、鎌倉駅の北西、佐助隧道の手前の崖下の旧岩崎邸跡地。「無量寺跡」と通称されるここから、鎌倉特有の岩盤を削った庭園跡としては最古の遺跡が出土したとのこと。
午後1時からの予定でしたが、早めの12時半に現地に着き、まだ見学者の少ないうちにゆっくりと見学。
開会のころにはおおぜいの見学者が押しかけ、とても盛況でした。
現場は約360m2の建設予定地、そこから約7m×3.5mの人工池と水路、長さ30〜40cm大の礎石が数カ所で出土しています。
池と遣水は、崖下の泥岩や砂岩の岩盤を削って造られており、中ノ島を掘り残し、底に玉石が敷かれていました。
崖にはやぐらが掘られ、それをバックにしてこの池を鑑賞するように、ぬれ縁のある10.8m×5.4mの建物の礎石は配置されています。
(→概念図へ)
発掘を担当した無量寺跡発掘調査団の宮田眞先生の説明によると、池はいっきに埋められており、埋め土の中から14世紀第2四半期ごろのかわらけが大量に出土し、このことから遺構の造成年代は永仁元年(1293)の大震災以後と推測され、鎌倉幕府滅亡期(1333年)ごろ、建物火災によりすぐに土で埋められたらしいとのことでした。
また「無量寺跡」というのは、近世の伝承による地名で、寺院の名前は一切不明であるとのことです。
同様の遺構は、嘉歴二年(1327)夢窓疎石によって開山された二階堂の瑞泉寺庭園に見ることができ、夢窓疎石がこの(寺院名不明の)庭園などを参考に瑞泉寺庭園をつくったとも思われるのだそうです。
礎石建物の跡に立ち説明する宮田先生
池の遺構。右から遣水の溝が池に注いでいる。
崖のやぐら跡を背景に、池を見るように縁のある建物礎石が並ぶ
安山岩の礎石(火災で焼けた跡がある)
おなじみの金沢文庫のS先生もお出ででした
瑞泉寺へも行ってみました
見学会のあと、この庭園遺構と同様の形式の庭園のある瑞泉寺に行って見ました。
まだ水仙は一部しか開花していませんでしたが、逗子層の崖から清流の注ぐこじんまりとした庭園は、見学会で見た庭園遺構をほうふつとさせるものでした。
瑞泉寺
蝋梅が咲いていた
瑞泉寺庭園
やぐらのある崖を背景に中ノ島のある池がお堂の後ろにあった
扇ガ谷庭園遺跡とよく似た造りだ
遣水が右崖上から池に注いでいる
扇ガ谷の山裾の残っていた謎の寺院跡、これはいったいなんだったのでしょう。
「新編鎌倉志」に残る伝承の「無量寺跡」との関連は?
時期は、律宗の忍性がまだ存命のころ。
中世の庭園のありし日の姿をとどめる遺跡のたたずまいに、私にとってまた鎌倉の謎の廃寺跡が増えてしまいました。