2001/12/29

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天皇誕生日会見記事から「韓国ゆかり」の人

   『桓武天皇御母御陵』を訪ねて

 

 毎年、暮れの休みを利用して京都に行く予定でおりました。訪問地は、特に決めておりませんでしたが、長岡京跡周辺をめぐろうと急遽計画しました。とりわけ高野新笠のお墓は是非訪ねて見ようと思ったのです。知られざる旧跡といえるでしょう。年末のあわただしさで、事前に場所を調べる準備もしませんでした。瀧浪貞子先生が、『平安遷都』(集英社、1991年)で言及されておられますので、それを頼りに探して見ようと思ったのです。場所は京都市西京区になります。

 京都に9時ごろ着いた私たちは、JR京都線の向日町まで電車で向かいました。バスが出てしまった後でしたから、タクシーを利用することにしました。運転手さんは桓武天皇ご生母陵(大枝山陵)のことはご存知ありません。ひとまず善峰寺を訪ね、その間に運転手さんが調べてくださいました。大枝神社を目指せばいいということがわかりました。

 途中、十輪寺を訪ねたあと、大枝神社まで連れて行ってもらいました。もう12時近くなっていました。神社には正月準備のためか、十数人の人が集まっておられましたので「御陵に行きたいのですが・・」と尋ねますと、「左の山道を、水路にそって歩くと見つかるよ」と声がかかりました。

 

 山道に入ると、確かに側溝があるのです。細く歩きにくい道ですが、まもなく『桓武天皇御母御陵』と書かれた石の道標を見つけることが出来ました。そこから先は登りになりますが整備された参道です。数分歩くと、御陵に着きます。桓武天皇の生母である高野新笠のお名前も、ましてその御陵も観光案内にはのっていませんでした。私たちのようなもの好きしか訪ねることはないかもしれませんね。静かにおやすみになっておられることでしょう。

 

 

 大枝という地は長岡京の西北にあたります。陵墓がこの地に営まれたのは、生地というわけでなく晩年をすごしたからであろう、と瀧浪先生はお書きになっておられます。周辺には皇后の藤原乙牟漏や夫人藤原旅子の陵墓も営まれているようです。

 

 

天皇陛下の誕生日に先立つ記者会見によせて

 朝日新聞の2001年12月23日朝刊の1面に、天皇陛下の誕生日に先立つ記者会見の記事が掲載されています。私はその記事を見て驚きました。「桓武天皇の生母、百済王の子孫と続日本紀に」と見出しに書かれていたからです。

 コメントを寄せられた上田正昭・京大名誉教授は「桓武天皇の勅を奉じて編集された『続日本紀』は、桓武天皇の生母であった高野新笠が、百済の武寧王の子孫であったと伝え、百済の建国神話を併記している。歴史学では古くから注目されてきた記述だが、陛下みずからが言及されたことはきわめて意味深い。そうした人的交流ばかりでなく、あわせて不幸な関係を忘れてはならないとの指摘も重要である。」と述べておられます。

 アサヒ・コムに『天皇陛下68歳に誕生日前の会見一問一答』が掲載されています。注目すべきご発言ですので、その箇所を引用します。

【質問】

 世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年、日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ、両国の市民レベルの交流も活発化していますが、歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください。

【天皇陛下】

 『日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、いまも折々に雅楽を演奏している人があります。

 こうした文化や技術が日本の人々の熱意と、韓国の人々の友好的態度によって、日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。

 私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、このとき日本に五経博士が代々日本に招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王(せいめいおう)は、日本に仏教を伝えたことで知られております。

 しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは、忘れてはならないと思います。

 ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々がそれぞれの国が歩んできた道を個々の出来事において、正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により、滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。』

 この話題は、「さわらび通信」の掲示板にも書きましたし、スンニリさんのHPの談話室にも書き込みさせて頂きました。桓武天皇の生母は上田先生のコメントにもありますが、高野新笠(タカノニイガサ)という方です。スンニリさんは、私の書き込みに関連して、お墓を訪れた体験をお書きになっておられます。スンニリさんのHPを開いていただければ、いいのですが、煩をさけるために勝手ながら引用させていただきます。(スンニリさん、お許しください。おかげさまで、高野新笠のお墓を訪ねることができました。)

 「確か京都嵯峨野にあったと思いますが、もう何年前になることか、いまは亡き金達寿先生、「日本のなかの朝鮮文化」誌を発刊しつづけておられた鄭詔文さんと3人で詣でたことがあります。急な坂を登った小高い丘の上の回りは孟宗竹の茂みに囲まれた深山のような小道を歩いて奥まったところにありました。本当に閑静な場所でもう1度訪ねたいところです。京都に行かれたおりは是非足を延ばしてお参りされたはいかがでしょう。」

 嵯峨野より南、旧山陰道入り口にあたります。この地は長岡京との関連が強いようです。スンニリさんがたずねられたころは周囲も閑静な場所だったのでしょうが、今は京都最大のベッドタウン、洛西ニュータウンがあります。昔のたたずまいとはまったく様相が変わっていると思われます。