ある道標の独り言T

1998年 夏 By.ゆみ

「これでも私は道しるべ」 

  

  1. こんなところに私はいる

    2本の電柱にはさまれて、私はいる。

    たっているのではなく、置かれている。

    たえまなく車が通る。

    通りの名は「成田街道」、右へ行くと成田、左へ曲がると

    吉橋から島田へでる。

    最近「八千代緑が丘」という新しい駅ができ、どんどん街ができていく。

    だから、むこうから左折してくるダンプには要注意だ。

    よらば大樹ならぬ電柱のかげの身、おっとそのトラックの後ろ左車輪、気をつけろ!

    ここはその名も成田街道新木戸交差点、昔木戸があったのかって?

    そりゃそうだ。今だってここから八千代市なんだから。




  1. お向かいにだって、なかまがいる

    おおい、達者かい!

    毎日赤信号のつかの間に、声をかけるのだけど、

    あいつも選挙と工事の看板に挟まれて かげがうすいね。

    私に比べれば「成田山」としっかりした彫りのりっぱな道標だけど、満身創痍、真っ二つのからだをセメントで接いで、まあなんとかたっている。

    排気ガスのなかった昔がなつかしいね。ここからさみしい牧の中の道をいくのだから旅の人も、土地の人も私らをそりゃ大事にしてくれたものだ。

    私らもできる限りはげましてあげたのに。

    えっ、「緑が丘」はどっちだって。もっと手前から表示をよく見ろ、ここで曲がるんだ。

                

  2. 私の正体は?                

    私はこれでもりっぱな道しるべ。

    「江戸期の石造物」という帳面では、「残欠」なんていうみじめなレッテル張られたけど、ちゃんと「右江成田」と読めるだろう。

    生まれは享和3年、生みの親も江戸っ子深川の連中だってはっきりわかってんだ。

    でも肝心な下半分がない断碑じゃ、「残欠」っていわれてもしょうがないかなあ。

    表側のおそろしげな「血流」の字彫りの意味はだって?そう、それが問題だ。


  3. 酔狂な3人連れが、私の正体を知ったようだ。

75日まだ暑い夕方、若者が2人私を調べ始めた。

メジャーで寸法を測ったり、これはなんて読むのだろうなんて言っている。

おばさんが一人デジカメなんかで私を撮っている。そんなに車道に出たら、危ないよ。

若者のうち上方弁の兄ちゃんが「血流ってひょっとすると吉橋の貞福寺のこととちゃうか」といった。

おばさんも「そう言えば、血流の下の欠けた字、地蔵の地とちがうかしら」とつぶやいた。

血流地蔵? 聞いたことあるなあ。そうだ、江戸の連中が私を建てたとき、見に来た吉橋の連中が口々にこう話していた。

「昔、吉橋城の殿さまが元旦の早朝、家来に松明のともさせて若水を汲みに行った。その明かりを目印に、敵の北条軍が一斉攻撃をしたので、とうとう城は落ちてしまった。

なんとか逃げようとした殿様も矢に当り、血まみれになりながら若君を家来に託して討ち死にされ、かろうじて命の助かった四人の家来が、この城跡にお寺を建て、殿さまの残した血流地蔵尊を本尊にお奉りした。

これが貞福寺で、住職となられた若君とともに末永くいくさで亡くなった人の菩提をとむらったとか。」

「うそだ、殿さまの御一家は幕張に逃げていったって、うちのじい様は言ってけど」 … 「?」

 

成田山は知っているけど、吉橋の貞福寺は知らないって? 

おい、おい、船橋三山の神宮寺も坪井の西光寺も、萱田の長福寺だってみんな貞福寺の末寺で13もあったんだ。

大師講の人もいっぱいお参りに来て、私も道案内に忙しかったんだよ。

 


吉橋の貞福寺

血流地蔵尊


 

 ある道標の独り言U

2000年 夏 By.ゆみ

「やっぱり私は道しるべ」  

 

  1. 私の片割れはどこ?

    今日も私は道端にいる。

    相も変わらず、傍若無人に車が通る。

    物好きな三人連れが、私に目をつけて帰ったのはおととしの夏。

    あれから、時々調査と称して訪ねる人はいたけれど、私の生活は変わらない。

    「これって、りっぱな文化財じゃないの。こんな状態がいいはずない。」

    だれかが叫んだ。

    そうだ、私はただの石ころじゃないんだっていいたいけど、声が出ない。

    「この下半分のなんて彫ってあるのだろう。」

    「建てたのは、江戸深川大工町のいったいだれ?」

    議論もいいけど、私の片割れをさがしてくれりゃいいのだ。

    どこにそんなのがあるって?

    昔のことよく知っているここのご主人に聞いてみな。

    この私のいる下に埋まっているかも知れないって言ってたように思うんだけど。

    30年まえの私の片割れと遭遇したら、それこそ「文化財」だ。

    「本気で掘ってみる?」

    おいおい、物好きの連中の親分、ほんとにマジかよー!


  2. 削岩機がやってきた

2000年の715日、朝から物好きの連中の親分が連れてきた職人が二人、私をよいしょとのけて、削岩機で地面のコンクリをガンガン壊し始めた。

連中の親分、どういうわけだが「先生」なんか言われているけど、その先生が一言かけて集まった仲間も10人ぐらいやってきてわいわい見物している。

なんせ電柱にはさまれた狭いところ、掘ると道路工事でぶちこんだコンクリのガラクタがいっぱい出てきて、こりゃ意外に難工事のようだ。

物好きの連中も時間をもてあましたのか、私をああだこうだと観察している。

「この裏側の字、貞福寺の貞だと思うよ」

「やっぱそうか、成田山と吉橋の貞福寺に行く分かれ道の道標だったんだ」

ついでにご丁寧に、お向かいの成田山の道標も調べに行ってる。

あっちも、ほとんど摩滅しちゃっているけど、「吉橋」という昔のきれいな行書の字が読めたようだ。

ちなみに正面は「成田山 是より七里」左側は「なんとか道 一リ塚」

「なんとか道」ってなんだ? 「き○○○道」? というと「きおろし道」かな?

  

 

  1. 片割れが出てきた!!

そうこう言っているうち、やっと頑丈な排水溝の下から、私の片割れが出てきた!

泥と洩れた廃油にまみれた無残な姿だったけど、きれいに洗ってもらったら、りっぱな彫りの寄進者の名前が見えてきた。

私の生みの親の名前、それは「川崎屋喜兵衛」と「石屋勘兵衛」。

深川大工町に二百年前いたんだろうな。

連中は、「さっそく深川に行ってウラを取らなきゃ。」ってはしゃいでいる。

私と片割れを縦に並べてスケールで丈を計っている。

職人の話だと元は「巾1尺・長さ4尺」の大男だそうだ。

現代風にいうと「H120cm×W30cm

私をなんかの踏み石に使った人が、欠けた真中を削ったらしく十なんセンチはつながらないそうだ。

みんなは「そんな人たたりがあってもしょうがない」なんていってたけど。

 

  1. 私の勇姿がよみがえる日が来る

先生が「これは4尺の元の姿にうまくつなげて復元しよう」と言っている。

元あったここに、私の勇姿がよみがえる日が来るのだ。

こんどこそ、粗末にされないよう、しっかりたてて、案内板も作るのだそうだ。

ここは、成田道と木下道の分かれ道。

北へ行けば、もうみんな忘れちゃっているけど、戦国の世、雄叫びをあげて戦った吉橋城の名残の寺「貞福寺」がある。

そんな城の攻防戦に犠牲になった城主やつわものを供養した血流地蔵さん、あなたと一緒に私を思い出してもらえる日がもうすぐ来る。

私も「残欠」という無残な姿で長生きしていたかいがあったなあ。


 

ある道標の独り言V

2001年 初夏 By.ゆみ

 

「私はりっぱな道しるべ」

 

  1. とうとう一本の道標になって・・

    夏が過ぎた。

    秋が来ても、掘り出された私の片割れと一緒に寝かされていた。

    寝床のガソリンスタンドの裏庭にも冬が来た。

    とうとう年が明け、ある日突然、連れていかれた。

    行き先は、医者じゃなくて石屋の作業場。

    そこで、アンカーボルトで接続固定完了の大手術。

    欠けたすきまをコンクリで固めて、1月9日、とうとう一本の道標になった。

    ふーん、さすが、プロの技だ。

    それから10日後、新木戸の元の位置に私は立たされた。

    私を「復元」する手間賃を出してくれた旦那に

    こんなにりっぱになったという写真を見せるだけなんだって。

    でも、なんだかへんだな。

    ガソリンスタンドが閉められちゃって、辻風がわびしく身にしみる。

    えっ、もうおしまい?

    ガソリンスタンドが建替えられるのか。

    工事が終わるまで、博物館の倉庫でまたひとねむり。

    春が待ち遠しいなあ。


  2. やっとお披露目の日がきた。

    6月12日、いつもの交差点、そしてピッカピカのガソリンスタンド。

    懐かしい人達がいっぱい来て、カメラも回って、とてもにぎやかだ。

    皆が見守ってくれる中、私の脚は、地面に開けられた穴にピタッとおさまった。

    今度は、縁石が車から私をガードしてくれている。

    学校帰りの子がのぞきこむ。「おじさんたち、何してんの」

    「これは、昔の道しるべ。半分しきゃなかったのだ。

    残りを地面の下から見つけ、元どおり立て直しているのだよ。」「ふーん」



  3. 私はいつまでもここに立っている。

深川大工町の連中が私を立てた日から二百年。

いろんなことがあったけど、私はりっぱな道しるべ。

 

向こうは「血流地蔵道」

そして「右へ成田 左へ江戸道」

私はたっている。

いつまでもこの三叉路にたち、

道案内をしつづける。

なぜなら、私は道しるべ。

 

 




ある道標の独り言 後日談

2002年 初夏 By.ゆみ

 

「私は有名?な道しるべ」

板ができた!

あれから毎日、渋滞の街道を見つめて立っていたけど、まだまだ「知る人ぞ知る」存在。

信号待ちのドライバーさんも退屈しのぎに見てはくれるけど、

「変なものが立ってるなあ」とけげんな顔してる。

やっぱり説明の看板がほしいなあと思っていた。


そしたら、一年たった5月の終わり、また先生がおばさんたちを連れてきた。

手にりっぱな看板を持っている。

そして私の後ろのガソリンスタンドの壁に、それを貼ったではないか。

なるほど、私を紹介する説明板。 うん! これならよくわかる!

これで、もしかしたら私はりっぱな有名人? 


それより、市民の手で、文化財を発掘・復元・設置、さらに看板まで造ってつけちゃうなんて、

「八千代市郷土歴史研究会」って、いったいなにもの?




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−完−

八千代市郷土歴史研究会の活動より

 

 「成田街道」については、

お友達の「駕籠舁(かごかき)」さんのすてきなホームページをごらんください。