2004.6.23 By.ゆみ
6.26更新

房総地域文化研究プロジェクト


2004年6月23日(水) 東京成徳大学情報棟AV教室 13:10〜16:10

第1部 八千代の歴史や自然観察のグループ活動をとおして

「郷土史をともに学ぶ面白さ」 講演要旨


又兵衛割群集塚の庚申塔道標
(「左下いちば道」「右うすゐ道」)

勝田入り口の庚申塔群
青面金剛像


1.通り道の風景

 勝田台南の通り道、又兵衛割角の庚申塔には「右うすゐ道」「左下いちば道」の道しるべが標されてあり、右への道は、勝田台団地の向こう側の狭い踏み切りを経て成田街道へ通じていたかつての古道の存在をして示しています。

 この「青面金剛」と刻まれた石塔を見てなんだろうと思ったところから、地域の歴史を知るきっかけが始まりました。


2.「不思議なものと」の出会い

 勝田のムラを訪ねてみました。大和田排水機場ができるまで、印旛沼に流れていた勝田川。その流域に広がる水田と辺田道。旧家の屋敷門、産土の駒形神社、六地蔵が並ぶ円福寺。
 その坂を上った台地の上には梵天塚があり、川に面したムラの境には、雄雄しい青面金剛の姿が、橋の向こうから進入してくる災厄からムラの平和を護っています。

 身近な「不思議なものと」の出会いから「地域の成り立ち」を知り、「里の風景」を復元し、「歴史的景観」を知ること。「地域を学ぶ楽しさ」とは私にとってこういうことでした。


3.グループワークでの調査の楽しさ

 私が入った八千代市郷土歴史研究会は1974年に発足し、研究機関誌「史談八千代」刊行しながら勝田や米本の調査研究、古道調査、八千代八福神巡りの設置などの活動を楽しみながら続けています。
 
 1998年よりは市内道標の悉皆調査を開始、八千代市の「“ふるさと八千代”市民企画提案事業」に応募して、『ふるさと再発見 八千代の道しるべ』を発刊しました。

 特にこの調査の中で、R296新木戸交差点の「血流地蔵道標」の復元・設置を成し遂げたことは、路傍の文化財を調べ守っていこうとする市民の活動の成果でした。
 また道標や古道、旧村を調査しながら、市内の歴史散歩道を紹介するのも、会の大事な活動として続けられています。


00.11.23高津西霊園での道標調査
八千代市郷土歴史研究会の

道標調査のドキュメント



1998年の調査から3年がかりで、
発掘・復元された新木戸の「血流地蔵道標」

01.7.15 「よいしょ!こんなに倒れちゃって。」
「ムリだってば!」(島田台の戒名塔道標)

02.8.20 背面の拓本をとる

総出で島田台の戒名塔道標を立て直す


4.勝田台から上高野・保品への歴史散歩道

 東京成徳大学へのスクールバス沿いの道も、また発見に満ちています。

 江戸時代後期に開拓された上高野原を過ぎると、上高野の旧村が現われます。
 ムラの境には、藁でつくった蛇の形のツジキリが設置され、村の中にはテントウネンブツなどの民俗行事が今も行われる金乗院、オコモリを伝える毘沙門堂、明治30年奉納の句額がある駒形神社があります。

 下高野十字路の道祖神社脇には12基の庚申塔群が今も村人の信仰を伝え、その中に刻まれた道しるべが示す方向には、米本への古道が樹々の中を趣きある風情で通っています。

 大学のある保品は、「室町幕府御教書」(1353)に「星名郷」としてその名が確認できる中世からの村で、村上の正覚院の清凉寺式釈迦像は、保品から来たと伝承されてきました。
 「八千代八福神」のある寺のひとつ東栄寺には、村人に三百年間大切にされてきた薬師堂があり、頭部だけ縄目状の清凉寺式薬師像が安置されています。

 その先、「人面墨書土器」が出土した上谷遺跡、この一角が大学のキャンパスです。


勝田台に残る梵天塚(勝田公民館横)

上高野原の住宅街
こんなところに、
道標がそのまま埋めこまれている!

上高野のツジキリ

上高野のテントウネンブツ00.02.13

下高野の道祖神社前の庚申塔群
道標は臼井と米本を結ぶ古道の歴史を伝える

02.5.26 保品の東栄寺薬師堂落慶法要


・参考資料:勝田〜勝田台は『史談八千代』15号1990、上高野は『史談八千代』26号2001、その他は『ふるさと再発見 八千代の道しるべ』に掲載しています。 


第2部

『ホームページ「歴史に好奇心!さわらび通信」』

1.「さわらび通信」

 歴史好きな友人や先生方とパソコン通信での対話から発展し、2001年6月にプライベートに立ち上げた夫婦のホームページです。


2.ホームページで伝えたいもの 

 失われていく歴史的景観や、路傍の文化財、民俗行事の姿や、また二度と見ることができない緊急発掘現場の記録を、ビジュアルに報告していきたいと思っています。

「ある道標の独り言」
 
「血流地蔵道標」復元の物語
「オビシャを追って」
武石・長作・高津新田・高津のオビシャ
「私の見た金砂大祭礼」 
72年に一度、茨城県金砂東・西金砂神社が大田楽と磯出の大行列を行った大祭礼
「高津ひめ神社・2003年三山七年祭を追って」
発掘された古代のニュータウン・台方下平T遺跡現地説明会その他
二度と見ることができない緊急発掘現場の記録


3. ホームページでひろがる世界

 ビジュアルな情報をリアルタイムで公開し、双方向の対話が可能です。またデータを蓄積保存、検索で利用できる機能や、リンクでの広がりでコミュニケーションの輪もひろがります。

 さあ、デジカメを持って町やムラを訪ねてみましょう。それぞれの「発見」があるはずです。


4. おすすめLINK先

「旧成田街道を歩く」   「千葉市の遺跡を歩く会」   「房総石造文化財研究会」 

「36年前の思い出」(= 「現地が一番」より)   「中山道ぽてぽて歩きの旅」



講演を終って

2004年6月23日 房総地域文化研究プロジェクトの講座「地域を学ぶ楽しさ」で、私の拙い話をお聴きいただき、HPのデモをご覧になってくださった学生さん、市民の皆様、大学の先生方、どうもありがとうございました。
終ってみると、フィールドワークや民俗行事の説明も、必要な固有名詞をほとんど述べ忘れた早口のお恥ずかしいばかりの内容で、申し訳なく感じています。
やはり、内容を絞って、ひとつひとつもう少し丁寧にお話する必要がありました。
口頭説明で足りなかった点については、どうか、「さわらび通信」の各ページを再度お読みいただければ幸いです。

ところでこのプロジェクトの特別講座は、時々聴講させていただいていましたが、素晴らしい企画だと思います。
このプロジェクトで先生方の薫陶を受けた卒業生の方々とお話しする機会がありましたが、地域の文化と歴史を学ぼうとする目の輝きが印象的でした。

地域の文化研究での情報発信の仕方の参考にと、このような機会を与えてくださった学科長ほか先生方、また応援に駆けつけてくださった八千代市郷土歴史研究会会長ほか同志の皆様、励ましてくださったLINK先オーナーの皆様にも感謝です。