By.ゆみ
八千代市内には弓矢で的を射る神事として、高津のハツカビシャと高津新田のカラスビシャが伝えられています。
高津は「甲乙ム」の字を組み合わせた的を、高津新田はその名のとおり烏を描いた的を使います。
北総各地で行われるこのような弓神事は、柳田國男の説により年頭に弓を射てその年の豊凶を占う神事で、騎乗で行うヤブサメに対し、「歩射」の字を当てるとされてきました。
この説に対し、民俗学者の萩原法子さんは、利根川沿いの多くの事例が、太陽を意味する三本足の烏の的を必ず射当てることに注目し、中国の「十日神話」から、無秩序に昇る多数の太陽を整え天体の運行を順調にする古俗に由来すること、字は「奉射」を当てるべきと説き明かしました。
オビシャは、必ず「オトウワタシ」すなわち当番の引き継ぎを行います。
オトウとは、神事を司る祭りの年番のことで、頭屋ともいいます。
本質としてオビシャは頭屋祭であり、「奉射日記」などの祭事記録、当番名の累代の記録を次の当番に引き継ぎます。
即ちムラの「時間と秩序の更新を期す祭儀」なのでしょう。
杯を新旧の当番で交わす杯事を伴う場合もあり、市川の「ニラメッコオビシャ」や佐原市大倉の髭撫祭のようにこっけいなほど厳粛に行いすぎて、有名になった祭事もあります。
高津新田のカラスビシャでは、半割にした大根に塩をつけてから、新旧当番同士の頭にすり当てます。
上高野のオビシャは弓神事を伴っていませんが、「蓬莱山」を飾り、お札の受け渡しを行っています。
花見川の流域の長作と武石でもオビシャが行われています。
長作諏訪神社のオビシャの的は「る」の字によく似た的を使います。
長作のオビシャは高津新田のオビシャのルーツと考えられます。
長作村(千葉市花見川区)から来た人によって17世紀に「高津新田」ができた際、諏訪神社も高津新田に長作から勧請したと伝えられているからです。
とすると、「る」は「烏」の崩し字ではないかとも考えられます。
なお、2002年までは、オトウワタシを深夜にやっていたそうです。
武石は、1月の羽衣神社と2月の三代王神社のオビシャを2月11日に一緒に行うようになりました。
的は、「卍」です。
「卍」も、中国古来の文様としては太陽をあらわすというのが、萩原さんの説です。