『江戸名所図会』の立石樣、今よりはしっかり頭を見せています。バックは中川、そして水田も見えます。 珍しそうに見ているのは旅姿の3人。 石のない東京低地では、石があること自体、とても珍しく不思議がられたのでしょう。 実は、応永5年(1398年)の『下総国葛西御厨注文』に「立石」という地名があることから、中世からこの石はあったようです。