Photo 2007.7.10〜20
UP 2007.8.4 By.ゆみ


2007年7月10〜20日
 

=イタリア聖地巡礼
旅日記=
天正少年使節の足跡を追って U

7月11日AM ローマにて-2

7月11日(火)AM
 朝食後、さっそくバチカン内へ。
 バチカン美術館に入館し、すばらしい作品が目白押しのピナコテーカもひたすら通り抜け、バチカン図書館へ。
 そして天正少年使節の「ラテラノ教会行幸図 」のある「シスト五世の間」をめざしました。  (枠つきの画像は大サイズにリンク)
 

朝早くからバチカン美術館見学希望者が列をつくっています

私の好きなラファエロの「聖母戴冠」

こちらも「聖母戴冠」(作者は?)
[大]
 
これも私の好きなメロッツォ・ダ・フォリの作品「音楽を奏でる天使」(1480年ごろ)  

「図書館長を任命するシクト四世」(1477) 

ラファエロの「変容」(1520)
      [大]
 

バチカン図書館シスト五世の間   [大]
 1582年2月 九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年(伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノ)を中心とした使節団は、長崎港を出港してからの3年余の想像を絶する困難な航海を経て、1585年3月無事ローマに着き、バチカン宮殿「帝王の間」で目的であったローマ教皇グレゴリオ十三世との謁見に臨みました。
 そのうち高熱を発して謁見式には臨めなかった中浦ジュリアンは、「教皇様に会えば熱もたちどころに治る」との切なる願いが教皇の耳に入り、、ジュリアンのみが教皇と非公式の面会を果たしたとのこと。
 愛情あふれる涙と抱擁をもって使節を迎えたグレゴリウス13世は謁見18日後に亡くなり、4月には新教皇のシスト五世が選ばれました。

 シスト五世もまた、即位2日後に使節に会い、前教皇と同様に寵遇することを約束、5月1日の聖ペトロ大聖堂で執り行われた戴冠式にも招待し、伊東マンショは、ミサで教皇が手をすすぐ際の補佐をする栄誉ある役を務めました。
 そして5日には、慣行によりラテラノ教会へ行幸する新教皇の行列に、4人の使節も騎乗し参加しましたが、そのラテラノ教会へ向かうその記念すべき絵「ラテラノ教会行幸図」が、バチカン図書館シスト五世の間に残されていました。

   
    「ラテラノ教会行幸図」  4人の騎乗の少年使節が確認できます      [大]
  
使節が来たころ、聖ペトロ大聖堂ドーモ(クーポラ)はまだ作りかけでした 

 バチカンの美術館から図書館へ、そしてまた中庭に面した長い華麗な回廊を歩き、システィーナ礼拝堂へ。
 バチカン内の施設は、特に祈りの場であるところ以外、ほとんどノーフラッシュでの撮影ができますが、ミケランジェロの「最後の審判」のあるこの礼拝堂は、一切撮影禁止でした。
(修復に資金援助した日本テレビに映像権があるかららしい)
 ほの暗い中、双眼鏡で見る天井画にはそのスケールの大胆さと力強さに圧倒されました。


こちらは、前教皇ヨハネ・パウロ二世の墓の
あるクリプタ(地下聖堂)へ列らしい


 そしていよいよ、サン・ピエトロ大聖堂の中へ。
 大きな聖堂の外も中も、とにかくたいへんな拝観客の数。迷子にならぬよう、必死に先達のコンプリ神父様についていくのがやっとです。
 先代の教皇ヨハネ・パウロ二世の墓にお参りしようと思っても、クリプタ(地下聖堂)に通じる階段は長蛇の列で、翌日早朝に再度訪ねてみることにし、大聖堂の壮大なクーポラ(丸天井)、聖人達の彫像や福音を題材にした絵画や装飾に、ただただ驚くばかりで、時間が過ぎてしまいました。

 ところで、少年使節が来たころ、ミケランジェロとブラマンテが設計にかかわったサン・ピエトロ大聖堂ドーモ(クーポラ)はまだ作りかけでした。
 シスト五世が急がせたクーポラ完成は、1590年5月。
 改築工事の始まった1506年から120年後の18代の教皇が関わり、1626年に献堂が行われたそうですから、イタリア芸術が最も盛んだった16〜17世紀の作品により、過剰すぎるほど華麗に荘厳された大聖堂の姿になったわけです。

 この壮大さに気後れすることなく、謁見と新教皇即位の儀式に望んだ少年使節のけなげさと気骨に、思いを馳せました。
 


サン・ピエトロ大聖堂の祭壇と天蓋 
巡礼の参拝者も観光客も皆一緒、 「天に栄光、地に平和」がありますように・・・

広いサン・ピエトロ広場も教皇謁見や祭式の際は
立錐に余地もなくなるのでしょう

  聖へレナ像
アンドレア・ボルジの作品
私の洗礼名の聖へレナはコンスタンティヌス帝の母親。
帝は『ミラノの勅令』で、信仰の自由を認めキリスト教を公認した。
母フラウィア・ユリア・ヘレナは晩年エルサレムを巡礼、
聖十字架を発掘し、ヴィーナス神殿となっていた地をゴルゴタと特定したという。


グレゴリウス13世像
父のような慈愛で少年使節を迎えた教皇グレゴリウス13世は、
学問を好み、グレゴリオ暦を制定した人。
イエズス会の教育事業を援助し、グレゴリアン大学を創設した。

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