PHOTO 2008.6.14 UP2008.6.22
       By.さわらびY(ゆみ) 
 八千代市郷土歴史研究会の研修旅行で、大内宿を、十数年ぶりの再訪しました。
 初めて来たときは、宿場町として重要伝統的建造物群保存地区に指定されて間もないころ。
 そのころは、まだ観光化されていなくて、民宿と素朴なおみやげ屋さん、お蕎麦屋さんが細々と営業始めていたころでしたから、テーマパークのようなにぎわいの昨今とは随分違った印象でした。

 あまり変わっていないのは、宿場の裏山の子安観音堂(←)ですが、宿場全体を見下ろす絶好の撮影ポイントとして、ここまで登ってくる人が絶えないことも驚きでした。
 大内宿は、 日光今市から会津若松に至る旧会津西街道(南山通り)の宿場町。
宿駅として整備されたのは17世紀中ごろと推定され、本陣・脇本陣がおかれました。

 会津藩主の参勤交代にも使われたこの街道は、戊辰戦争の際、西軍の侵攻を断つため、会津軍に焼き討ちされた宿が多かったが、この宿は村人の努力で戦火を免れたといいいます。

 明治17年の会津三方道路の開削により街道筋が変わり、大内は山間に取り残されていきました。
 昭和44年、このひっそりとしたむらの姿の重要性を文化庁に直訴したのが、武蔵美術大学の学生だった相沢韶男氏でした。
 江戸時代の宿場の雰囲気をよく残す町並みは、やがて1981年(昭和56年)重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのです。

 
←路傍の庚申塔

初夏の会津〜郡山への旅1 大内宿