PHOTO 2008.6.15 UP2008.6.22
       By.さわらびY(ゆみ) 
↑ 開成館             →安積開拓官舎(旧立岩一郎邸)

明治の初めに、安積開拓の拠点だった歴史的建造物です

↓旧福島県尋常中学校本館を利用した安積歴史博物館
 干ばつの影響を受けやすく荒涼とした安積原野を、明治政府は、明治12年から5年の短期間で猪苗代湖から引いた安積疏水は開通させ、豊かな水と電気で郡山を穀倉地帯と製糸産業の地域へと発展させました。
 明治維新と各地で士族の反乱を背景にした士族授産の国家プロジェクトでした。

 この郡山の発展を支えた「五百戸移住」の士族開墾は、しかしその一方で、多くの入植者が開墾地の生産性の低さから貧困にあえぎ、小作農に転落したといいます。
 宮本百合子は小説「貧しき人々の群」の中で、その小作人の生活を書きました。「幸福を夢想しながら、故国を捨てて集まって来た。けれども、、(中略)彼等は今も昔も相変わらず貧しい…」

初夏の会津〜郡山への旅 7 安積開拓の史跡