2009.3.6. さわらびY(ゆみ)


188殉教者列福式と九州巡礼の旅-

2008.11.24 長崎での188殉教者列福式へ
 やっと、この日が来ました。
 1981年のヨハネ・パウロ二世来日を機に、188殉教者列福へ向けての調査が始められて二十数年、2007年6月、日本で初の列福式の予定が決まり、とうとう今日の日を迎えました。

 この一年間、私が「殉教者を想い、ともに祈る週間」などの小冊子で知った188人殉教者の素顔は、意外と身近な人物像でした。
 ペトロ岐部など4名の司祭は別として、そのほかの殉教者は聖職者ではなく、町人や村の庄屋、大藩の家老など要職を含む多くの武士、そしてその家族と従者たちで、またその多くは、禁教が厳しくなって司祭不在となった潜伏教会での「慈悲役」や「ミゼルコルディアの組」などでの奉仕を務めた信徒たちで、また実社会の中でも慕われる存在でした。
 そして、それは殉教ということばから想像される勇者のイメージではなく、「捨てがたき宗旨故かようになり参らせ候」(小笠原玄也の妻みやの遺書)と無抵抗のまま受難を受け入れた人々でした。
 江戸時代初期が禁教と迫害の嵐が吹きすさぶ時代でなければ、誠実な商人や情愛深い村役人、義を重んじる武士、忠実な使用人や勤勉な農民として、その時代の模範的な生涯を送り、やがて穏やかに歴史から忘れられていく普通の人々だったのです。

 1587年の秀吉の禁教令から17世紀前半の間、殉教の日時と名前の明らかなもの約5500人と、確かに殉教したが名前など不明なものが約2万人というキリシタン殉教の過酷な歴史があります。
 日本司教団として 「日本の教会独自の列福運動を起こす必要を日本の司教団は感じ、・・・現代日本の教会に、信仰ある生き方を問い掛ける代表的人物を選ぶことで合意、そのために、日本人に限り、信徒の時代を標榜する現代にふさわしい人物を選定することを優先させ」、膨大な歴史資料に調査の光を当てて、ようやく実態が明らかになった188人だったのです。

 
 史料によって明らかになったこの188人の生き方を通して、私たちが何を学ぶのかと現在社会に問いかける列福式が、始まろうとしています。

                           〜+〜+〜+〜+〜+〜+〜

浦上川を渡って続々と会場へ

今日の大役(?)を勤める青年たち
 雲仙から長崎へ、この日の朝の天気は車中はずっと雨! でも、浦上トンネルを抜けると、長崎は晴れていました。
 9時45分ごろ早々と会場の長崎ビッグNスタジアムの近くに着き、一応、レインコートを着込んでバスを降りました。
 
 続々と会場へ向かう参加者の列。 誘導を担当する奉仕の方々が、迎えてくれています。
 記念品などのお土産コーナーで買い物をしたり、暖かな日差しの中で早めの昼食をいただいたりしているうちに、式典に先立ち、巨大モニターに各地の殉教者を紹介する映像が上映されました。
 その上映中に、また空が暗くなり、雨も降りはじめ、あわててポンチョを頭からかぶりました。

リハーサル中の聖歌隊

式の初めに青年たちによる殉教者ゆかりの地の土が奉納されます
 12時、鐘の音も高らかに鳴って列福式ミサが開祭。
 十字架を先頭に、青年たちの手でリレーされてきた大ろうそくと殉教者ゆかりの地の土が、そして26聖人記念館のデ・ルカ・レンゾ神父が殉教者の遺骨を祭壇下に安置、大勢の司祭団が入場して、列福式ミサが始まりました。

 「今日こそ神が造られた日、喜び歌え、この日を共に。・・・」
 「私たちは神の民、その牧場の群れ。・・・」の聖歌が歌われます。

 司祭も祭服の上にビニールレインコート姿。その数二百名以上? 延々と続く行列が過ぎていくうち、雨も小降りとなり、赤い祭服の司教団が入場する頃にはほぼ止んできました。
 雨と寒さと緊張と感激で、祭壇と巨大モニターを見つめるだけだった私も、このころからやっとカメラのシャッターを切る余裕が。
 各教区の司教・枢機卿に続き、教皇代理のジョゼ・サライバ・マルティンス枢機卿が入場し、列福の儀が始まりました。 

雨もやんで司教団の入場(あ、幸田司教様!)

サライバ枢機卿です
 「ベネディクト16世教皇聖下に対し、1603年から1639年に殉教した神のしもべ、イエズス会盛式誓願修士ペトロ・カスイ岐部神父と187人の尊者を福者の列に加えてくださるよう、ここに謹んでお願い申し上げます」と岡田東京大司教の列福宣言の要請、 続いて殉教地ゆかりの9人の司教による188人殉教者の紹介が続きます。

 サライバ枢機卿が教皇書簡を朗読、 「使徒的権威によって福者の列に加えます。」 と宣言。
 鐘が高らかに鳴り響き、 青年たちの手で祭壇後の三牧樺ず子氏作の肖像画の除幕が行なわれ、 188羽の鳩が放たれました。
   
 続いて、言葉の典礼にうつり、聖書朗読の後、白柳誠一枢機卿の感動的な説教。
 その最後のフレーズです。

 「殉教者は呼びかけています。毎年3万人以上の自殺者が出る日本の社会に呼びかけています。
 生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、人間は何のために生きるのか、人生の目的、意義とは何か、苦しみに意味があるのかなどの人生の根本問題について深く考えるよう求めています。
 信仰の自由を否定され、殺された殉教者は叫んでいます。
 神の似姿に創られた人間の尊厳性、また人間が持つ固有の精神的能力、考え、判断し表現する自由などの重要性、それに反するあらゆることを避けることを強く訴えています。
 なかでも人間の生きる権利が胎児のときから死にいたるまで大切にされること。武器の製造、売買、それを使っての殺人行為である戦争。極度の貧富の差により非人間的生活を余儀なくされている者たちへの配慮など、すべての人が大切にされ、尊敬され、人間らしくいきられる世界となるよう祈り、活動することを求めているに違いありません。
 さあ、皆さん、怖れずに歩み、一緒になって進みましょう。
 怖れるな、怖れるなと神様が、そして殉教者が呼びかけています。
 わたしたちのこの切なる願いを、殉教者の母、私たちの母、聖母マリアが取り次いでくださるように祈りましょう。
 恐れずに進みましょう。」

   
 そして感謝の典礼、交わりの儀とミサは進み、188人の福者と3万人の参列者を祝福するように、晴れた空にやわらかな夕の日差しが輝いて見えました。
 

殉教者の遺骨とゆかりの地の土の安置された祭壇でのミサ

長崎の各教会の少年少女たちによるホスティアの奉納の列
「福者ペトロ岐部と187人の殉教者が、あなたの愛に支えられてすべての苦しみに打ち勝ったように、わたしたちの心にも愛の火を燃え上がらせてください」(奉納祈願から) 
     
 赤いパラソルが誘導し、約二百人の司祭の奉仕による聖体拝領。 
 スタジアムの上だけ空がぽっこりと晴れて、すべてを祝福してくださっています。
〜+〜+〜+〜+〜+〜+〜
 聖体拝領後、サライバ枢機卿のメッセージ、そして列福に携わってきた溝部司教が謝辞を述べました。
 この中で「歴史資料の大半を書いてくださった故チースリク神父様、そして7日前に亡くなり、老いてなお列聖の情熱を失わずに働き続けてきた日本26聖人記念館前館長結城神父に特別のお礼を申し上げます」と触れられたときは、期せずして会場から大きな拍手が起こりました。
 
 最後に白柳枢機卿の「皆さんの心の中に、神様の愛の炎が燃え立ちますように」と祝福されて、閉祭。
 11:30のビデオ上映からなんと、4時間以上の式典が、終始感動のうちに終わりました。

司教様方もなごやかに退場

子供の聖歌隊、ご苦労さま!

さあ、帰りますよ(時間は16:08です)

帰り道はそれぞれ遠いけど、心はひとつ

 次は作成中、お待ちください