8/26 敦煌の史跡2
漢の長城と玉門関
昨年やっと有料の舗装道路が開通したので、ゴビ砂漠の中の道を75kmバスで走り、玉門関をめざす
 
左下のゲートに書かれた文字は
「張騫李廣倶往矣  聴塞外羌笛胡角馬嘶」
ここはもう、唐の詩人達が詠った「辺塞詩」の世界!
 
     
 
新しいゲート、ガイドの張さんが通行料を払う
  途中砂漠の中に、烽火台跡があった  
     
  漢代の長城の西のはて、その先にも烽火台がある   薪を板の代りにして版築できづいた万里の長城、千年の風雪に耐えてきた  
     
  烽火台   これが玉門関  
     
  玉門関の内部、涼しい日陰でガイドさんの説明を聞く

ちょっとした湿り気があるのだろうか、刺のあるラクダ草が繁茂している

  玉門関はただいま補修中

 

辺塞詩

 
 

葦の束 (烽火用の薪?らしい)

 

 

「渭城の朝雨軽塵をうるおし 客舎青青柳色新たなり 君に勧む更に尽くせ一杯の酒 西のかた陽関を出ずれば 故人無からん」王維

「君不聞胡笳声最悲 紫髯緑胡人吹 吹之一曲猶未了 愁殺楼蘭征戌児 北風吹断天山草 崑崙山南月欲斜 胡人向月胡笳 胡笳怨兮将送君 秦山遥望隴山雲 辺城夜夜愁夢多 向月胡笳誰喜聞」岑参

「走馬西来欲至天 辞家見月両回円 今夜不知何処宿 平沙万里絶人烟」岑参

黄河遠上白雲間 一片孤城万仭山 羌笛何須怨楊柳 春光不度玉門関」王之渙

「葡萄美酒夜光杯 欲飲琵琶馬上催 酔臥沙場君莫笑 古来征戦幾人回」王翰 

 

 

 

   旅行の事前説明会で、「敦煌でオプショナルツアーができますが、どこかご希望はありますか」とツアコンのKさんにいわれ、思わず「陽関に行きたい」と言ってしまった。

 高校の授業で習った「西のかた陽関を出ずれば 故人無からん」という漢詩がとても印象深く、恥ずかしいことに「西域」というとバカのひとつ覚えで「陽関」と答えてしまったのだ。

 夫は敦煌や高昌国などの情報をインターネットで仕入れていたが、私は何の準備もなく、出発する時「漢詩をたのしむ」という新書版の本を持っただけだった。

 飛行機の中で、その本を開くと「辺城夜夜 愁夢多し」や「平沙万里 人烟絶ゆ」といった有名な詩が頭によみがえってきて、こころはすっかり辺塞詩の世界に入りつつあった。

 敦煌に着いて、玉門関まで有料道路が開通したというガイドさんの情報から、陽関ではなく遠いけれど玉門関に行こうと提案があった。

 団長先生が、私の顔を見て、「陽関に行きたいとどうしてもこだわっていた人がいたけど」なんておっしゃるので、またまた恥ずかしくなってしまった。

 実は漢詩には「羌笛何ぞ須いん 楊柳を怨むを 春光度らず 玉門関」など玉門関を歌った名詩もあるのだ。(いまさら一つ覚えの「西出陽関無故人」にひかれてなんて言えない?)

 玉門関までひたすら砂漠の中の一本道を走った。まさに「平沙万里絶人烟」の世界だった。車窓から蜃気楼を見た。

 帰路、ツアコンのKさんが「平沙万里絶人烟」と「西出陽関無故人」の詩の読み下し文を読み、ガイドの張さんが中国語で詠じてくださった。韻をふくむ心地よい響きだった。(Y)

 
         
  西千仏洞      
     
  党河の断崖に掘られた石窟、今も上から土砂の崩壊が進んでいる   ここから先は撮影禁止  
       
 

図録から拝借した画像、第16窟(五代)

この仏像の前には喜捨の小銭が無造作に積まれてあった

     
         
  西晋の古墓群      
     
  去年発掘公開されたばかり、まだ観光案内に載っていない古墓の内部を見学できた。

撮影禁止なので、管理棟に展示してあったパネルをカメラにおさめた。

  ここが入り口、階段を下りていくとレンガで装飾され高くきづかれた羨道の入り口がある。

地下には見上げるばかりのペンシルビルがそびえ、その中にはリビング兼寝室の主室、その横の耳室にはままごとのようなキッチンセットがそろっていて、死者が何不自由なく暮らせる世界があった。

     
  月を表す蟇蛙と定規を持った女神(じょか)   太陽を表す烏とコンパスをもった伏義  
     
  天井の文様   発掘当時の墓内の様子  
         
  サンセットin鳴沙山      
     
      月牙泉の日没