2003.7.15 Byゆみ
稲毛浅間神社のお祭り見聞録
《プロローグ》 昔の子育てのならわしの聞き取りから
八千代市内の旧家のご婦人方に、昔の子育てのならわしをお聞きする機会があり、そこでのお話の中で、「子供と一緒に稲毛の浅間様へのお参りしたことが、一番印象深く覚えている」とのことでした。
稲毛の浅間神社のお参りについての聞き書きは次の通りです。
☆一、三、五、七歳になった年の7月15日に稲毛の浅間神社に、お参りに行った。
歩くか、京成電車か、荷車や自転車で行った記憶がある。暑いので早朝から出かけた。
☆露店がいっぱい出ていた。
暑いころで、子供は氷を食べたがったりした。
虫籠の入ったキリギリス、麦わら細工に入った海ほうずきなどが売られていた。
☆山の上の神社にお参りしてから、船の上に板を並べた橋の上を歩いていくと、海辺(国道14号線の先は海だった)の鳥居のところで、神主がお祓いをしてくれる。
橋の上は歩くと板が揺れて、子供がきゃっきゃっと喜んでいた。
今も、その鳥居が、国道14号線の向こう側に建っているという。
☆おひねり(ご祝儀)をいただいた仲人さんや子供の夏着を贈ってもらった実家などに、帰ってからお札と桃とうちわを土産に配る。
女の人には息抜きだったが、帰ってから土産を届けなければならないという気苦労もあった。
千葉市の稲毛浅間神社は、富士山を神と仰ぎ奉る信仰にはじまり、源頼朝が東六郎胤頼を使者として御幣物を捧げて武運長久を祈願、千葉常胤以来、代々の千葉氏の信仰が篤かった神社と、由緒書きに書かれています。
当初は小中台の海宝四郎五郎宅の裏山にまつられ、後世、この地に遷したとも言い伝えられています。
ご祭神が「コノハナサクヤヒメ」であることから、このカミさまのご利益は、安産子育てです。
コノハナサクヤヒメは、ニギギノミコトと交わって一夜にして身ごもり、ミコトに他のカミの子と責められたのを悲しんで御殿に火を放ち、焔の中で出産したという情熱の女神。
安産子育てのほか、火難除けの守護神でもあるようです。
現代も海浜ニュータウンの子女で七五三も大賑わいですが、7月14-15日の例大祭も、昼間は親子連れ、夜は若者で超満員の人出となるそう。
さて、旧家の皆様が覚えておられた四十年以上前の稲毛の景観やお参りの風習は、今、残っているでしょうか。
お祭りを楽しみながら、昔のならわしと景観を探してみました。
T、山の上の本殿のお参り風景
祭当日の浅間神社本殿
本殿は昭和39年に焼失。この写真は昭和4年頃。
『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 千葉』
鳥海宗一郎編著より
ながーい柄のついた御幣で、お祓いをしてくれる。
賽銭箱も、お正月並みにビッグ!
どちらも子供の目には、ちょっとオドロキ。
「若竹のようにすくすくと、節目正しく健やかに」という
「子育ての笹」は初穂料1000円
ここだけのオリジナル「キティ守り」は500円