2003.7.15 Byゆみ
稲毛浅間神社のお祭り見聞録
X お店がいっぱいのお参り道
浅間様のお祭りは、昔も今も、たくさんの露店が軒を並べとてもにぎやか。
海ホウズキや虫かごに入った鈴虫などはさすが見かけませんが、今も子供の好きなグッズはとぶように売れています。
今年の流行は「お散歩ワンワン」、どの子もごきげん!
JR稲毛駅から京成稲毛駅、そして14号線まで
ずっと露店が並びます
昭和の初めのころの祭礼風景
『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 千葉』
鳥海宗一郎編著より
「お散歩ワンワン」、そして「変身グッズ」
子供には、夢の世界の参道です
うちわと桃とお札
子供が生まれて初めての浅間参りの仲人さんへの記念のお土産
八千代市立郷土博物館企画展展示の写真から
初めての子の浅間参りでは、仲人さんや実家や親類からご祝儀をいただきます。
Y お土産は 昔ながらの縁起物
そのお礼に、うちわと桃とお札を買って、お土産に配ったそうです。
今でもその習慣は、残っているのでしょうか。
そういえば、ほかのお祭では見られない「うちわやさん」と「桃やさん」がお店を出しています。
やってきたのは、赤ちゃんつれの若いお母さんと義母さん。
うちわと桃をいっぱい買って帰るところでした。
八千代市に近い横戸の旧家だそうです。
うちわは、昔ながらの「鯉の滝登り」や「恵比寿大黒」の絵の裏に「浅間神社参拝記念」と書いてあって、600円。
桃は箱入りの贈答用。あまり重そうなので、運ぶのをお手伝いしました。
うちわやさん。 昔ながらの柄のほか、 インテリアとしてしゃれたデザインの方も売れるとか。 |
うちわを買って帰る家族 |
「何で桃を売っているの?」 「浅間さんのお土産は桃に決まっているから・・・」 |
14号線の向こう側の臨時駐車場まで桃を運ぶのはたいへん |
Z 桃とうちわの呪力
ところで、売る方も買う方も、「昔から決まっている」というだけなのですが、どうして浅間様の記念のお土産は、うちわと桃なのでしょう?
桃は中国ではおめでたい木として、厄除けや慶事に利用されて、また日本でも桃太郎などの昔話や桃の節句など古くから親しまれてきました。
「古事記」には、伊邪那岐命が黄泉の国から逃げる途中、変り果てた伊邪那美命の黄泉軍に、桃の実を投げつけて退散させ、桃に「意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)」という神の名前を与えたとかかれています。
また、桃の種も葉も、薬用として重宝されてきました。
もう一つのわけは、桃の実が女陰(ホト)に似ているからか、子授けや安産祈願にご利益があるということです。(民俗研究家萩原法子様にご教授いただきました)
そんなわけで、桃は悪邪を追い払い、子授けや安産の呪力ある縁起物として、当然なのでしょう。
市川市国分の庚申塔 ⇒
(萩原法子様ご提供)
お猿さんが桃を持っている
高津新田旧家の居間にかけてあった
稲毛浅間神社参拝記念のうちわ
うちわもさまざまな祭事に使われています。
川越では7月13日が仙波浅間神社の初山で、子供の初参りのお土産にはあんころ餅とうちわを買って帰ります。
あんころ餅は夏の健康のために、そしてうちわは夏の疫病を追祓うためとのことで、お仲人や近親に配る習わしになっているそうです。
北本(埼玉県)の浅間神社の7月1日の初山も、2本ずつうちわを土産に配る習慣がありました。
富士山本宮浅間大社の大宮司家の富士氏の家紋は、「石持棕櫚団扇」という紋所、富士信仰と団扇は切っても切れない関係にあるようですね。
浅間神社以外でも団扇が祭事に使われています。
滋賀県甲賀郡の祇園花行事では、造花やうちわを奪い合う祭礼があり、そこでも花やうちわは疫病をはらうものとされています。
東京都府中市の大國魂神社では毎年7月20日に行われる「すもも祭り」でカラスの絵が描いてある団扇や扇子が頒布されます。
カラス団扇は、五穀豊穣・悪疫防除・厄除の信仰をもつとされ、この扇を以て扇ぐと、農作物の害虫は駆除され、又病人は直ちに平癒し、玄関先に飾ると魔を祓いその家に幸福が訪れるといわれます。
唐招提寺では、団扇で蚊を払おうとした弟子に「蚊に血を与えるのも布施の行」と言った覚盛上人の遺徳をしのんで、「うちわ撒き」をします。
法華寺の尼僧達が上人の命日にハート型のうちわを霊前に供えた法要に由来し、撒かれたうちわは、安産・雷難火難除け・害虫除けの効があるとして、参拝者が競って取るそうです。(こちらも萩原様のご提供)
覚盛も西大寺の叡尊と並んで、鎌倉期に戒律を復興し唐招提寺を中興した律僧でしたね。
唐招提寺うちわ撒き
(萩原様ご提供)
唐招提寺のうちわ
やはり、桃もうちわも、厄除けに抜群の威力があるようです。
でもそれだけでなく、夏の必需品として実用的なうちわ、おいしくて高級品の果実である桃は、お土産として贈って喜ばれるものとして、お店も競争して良い品を揃え、参詣記念品として定着したのだと思います。