下総国府と国分寺造営に関わる古代遺跡 U

2004.10.8
国府台遺跡現地説明会のレポート2
2004.10.9 By.
 8世紀に入ると竪穴の建物はなくなって掘立柱建物だけになり、その柱穴は特段に大きくなっています。

 そして竪穴建物が、国府が廃れはじめる10世紀にまた現われ、こちらの遺構は、軸が南北の国衙の区画線に
沿っています。

 11世紀以降の遺構としては、六所神社(下総総社)の参道の溝らしきものがありました。
 総社は、平安後期、国司の力が弱くなったころ、その力を高め、また各神社の奉幣を合理化するため、
国内の神々を合わせて祭った神社でした。
 この六所神社は明治に須和田に移転しましたが、府中という字名に名残りをとどめています。

 また、氷室と見られる多きな穴と、そこから馬の頭が瓦に載せられて出土したこと、「国厨」の墨書土器や、
大溝から出た江戸時代のさし銭などの出土品も面白かったです。
掘立柱建物の柱穴跡
掘立柱建物の柱穴跡
六所神社参道にかかわる溝
氷室と思われるすり鉢上の大きな穴
この穴から出土した「国厨」の墨書土器