in 台方花輪貝塚にて-4
2007.9.23  By.ゆみ
縄文遺跡のある風景
   江川のほとりへ下りて、貝塚のある斜面林を見てみましょう ↑

↑ 江川に沿った入り江は公津新田となり、その奥には、公津原古墳群のあった成田ニュータウンが見えます。

台方花輪貝塚 ●

 ↑ 現在と1961年の発掘調査風景とは、あまり変わっていません
 ↑ 江川に沿った辺田道をさらに数分行くと、公津村の名主で、江戸前期の百姓一揆の指導者・木内惣五郎(佐倉宗吾)の木内家旧宅があります。

 1653(承応2)年に惣五郎が処刑された当時、水戸藩領にいて刑を免がれた惣五郎の娘に、処刑を悔いた後の佐倉藩主が家の再興を許し、さらに田地を与えたと伝えられます。

「義民ロード」の案内看板に従ってさらに行くと、麻賀多神社と宗吾霊堂に至ります。