明日から発掘です。 桃李 2002/07/07 (日)
21:21 私は明日7月8日から8月12日まで霞ヶ浦町柏崎須恵器窯の発掘で留守にします。PHSも届かないようなところなので、その間メールも送れない暮らしですので、しばらくこちらも失礼させていただきます。 |
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細い岬状の台地の南斜面に柏崎須恵器窯に遺跡がある 2002.7.22 |
これがその窯、左サイドに雨水を逃がす溝がある 2002.7.22 |
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柏崎須恵器窯発掘現場を見学しました。 さわらびY(ゆみ) 2002/07/22 (月) 00:04
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須恵器窯中心部分 2002.7.22 |
隣接する製鉄炉跡に立つ桃崎氏 2002.7.22 |
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県内最古級の須恵器窯跡−霞ヶ浦町 古墳時代に築造か、筑波大が調査
霞ケ浦町柏崎の柏崎窯跡群の発掘調査をしている筑波大考古学研究室(川西宏幸教授)は二十九日、県内で最古級とみられる須恵器窯跡が確認された、と発表した。窯は西暦六百年(七世紀初め)の古墳時代に造られたとみられ、同大では「県内では常陸太田市の須恵器窯が最古だったが、それよりも古い窯」としている。 同大は町の協力を得て、二〇〇〇年七月から調査を続けている。今年は最終調査(第四次)に当たり、今月八日から八月十二日の日程で取り組んでいる。同大が一九九八年から二〇〇〇年にかけ、町の委託で作成した遺跡分布地図の調査過程で、古墳時代の須恵器窯跡があることを突き止めた。 確認された窯跡は傾斜三十度の急斜面にトンネル状に掘り抜かれ、全長約九b、幅約一・七bの地下式あな窯。砂利を含む硬い赤土の層を天井とし、軟らかく崩れやすい黄色い砂層を掘り抜いて築かれていた。 窯の北から西側にかけて雨水が流れ込まないようにする排水溝があり、西側の溝の地下には別の窯が埋まっていた。出土した須恵器は生産段階での失敗したものとみられ、その多くはかめやつぼ。中には当時の流行であったといわれる仏にそなえる銅鋺(わん)や銅の盆の形をまねたものが見付かった。 同町安食の風返稲荷山古墳で、この窯の製品とみられる須恵器などが出土しており、同古墳に葬られた豪族が窯を経営していたらしい。しかし、窯で作られた製品がどこで使われていたかは不明だという。 調査に当たっている同大歴史・人類学系助手の桃崎祐輔さんは「外からの技術者と地元との生産ではつくりが違ったが、完成度は高い」と話している。また、「当時、海だった霞ケ浦の浜辺で最新の技術を導入して須恵器の生産を指揮していた豪族が、霞ケ浦の水上交通を取り仕切る立場を通じて、中央の権力者とも太いパイプを持つ有力者だったのではないか」とみている。 |
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富士見塚古墳公園 | 富士見塚古墳からみる霞ヶ浦の景色 | |||
茨城県霞ヶ浦町柏崎窯跡群現地説明会のお知らせ http://6302.teacup.com/k21926/bbs から引用 筑波大学考古学研究室では、8月4日に茨城県霞ヶ浦町柏崎において柏崎須恵器窯第4次調査の現地説明会を開催します。 |