速報!! 霞ヶ浦町柏崎窯跡群の現地説明会参加レポート |
柏崎窯跡群の現地説明会に参加
さわらびT 2002/08/05 (月) 20:20
8月4日、霞ケ浦町の柏崎窯跡群の現地説明会に参加してきました。
遠足気分で、土浦駅に9時集合した一行4名、柏市在住のAさんが車で迎えに来て下さったので大助かり。
説明会開始の10時には充分すぎるほどの時間に富士見塚古墳公園に到着。発掘現場は目の前です。
説明会場にいらっしゃる桃崎先生の愛用のターバン(?)姿に出会えてホッと一安心。テーブルに並べられた須恵器の断片を見せていただきました。
説明会は現場の狭い状況から20名づつとのこと、早くから待機していた私たちは最初に説明を受けることができました。
これで、早起きしてはるばると来たかいがあった(^-^)
発掘現場はいまは明瞭に私たちの眼前に姿をあらわしていますが、写真で周囲の状況をご覧いただけばおわかりのように、もともとは鬱蒼とした樹木に覆われた丘陵だったわけです。
説明会資料では、霞ヶ浦町の分布地図作成踏査の過程で、「焼け歪んだり、須恵器同士がくっついた破片」の発見をきっかけに発掘調査が行なわれたと、書かれています。
考古学体験のない私には、ご苦労があったかどうかの判断力はありませんが、史跡発見の喜びもあったのではないかと想像します。
ご説明していただいたのは筑波大学大学院の渥美さん。7世紀前半代の窯跡であること、窯そのものが煙突状になった窖窯であって、焚口部・燃焼部・焼成部にはっきりした区別がないという構造のことをお話いただきました。
発掘作業も続けていました。のぞきこんで見ますと、須恵器の破片が重なるように見えています。なぜ残されているのでしょうか。不良品だから捨てたとしても、そのまま放置したのでしょうか。
この窯を使用した期間は意外と短期間であったと、あとで桃崎先生からうかがいました。接合して完形品が復元できるか、違った状況が読み取れるかは、これからの作業になるようです。
発掘された須恵器片の説明をされる桃崎先生 |
発掘現場全景・地元の人や学生がたくさん見学 |
筑波大学大学院生が熱心に説明してくださった |
左側の排水溝の下にさらに2号窯があった |
燃焼部の下には須恵器の破片が重なるように見えている | 窯の焼成部をただ今発掘中 |
国士舘大学が発掘中の製鉄遺跡も急遽、現地説明会を開催してくださったので、そちらにも足を運びました。
須田勉教授からご説明を受けました。当時、石岡にあった常陸国府の建物を作るため、砂鉄からの鉄素材を生産する場所だったこと、またなぜ高い山に作るかというと、平地では置き場に困る、たくさん生じる鉄の流動滓を転げおとすことができるからだとご説明してくださいました。
わかりやすいご説明に皆さんナットク。鉄を握る者は経済と軍事の両面を掌握できるのだそうです。ナルホド。
お昼を霞ヶ浦町郷土資料館前の食堂でとったあと、資料館を見学しました。
風返稲荷山古墳出土の鉄地金銅張杏葉などは現在、茨城県立歴史館で展示中のようです。ちょっと残念。
午後の部の発表前後に差し入れを届けに行きました。
駐車場や、ガイドに立っておられた学生の皆さんも暑い中ご苦労様。
私たちは、富士見塚古墳公園を拝見したあと、せっかくだからと風返稲荷山古墳を目指しました。
説明板も倒れていると聞いておりましたので、不案内なまま近くまで車で行ってみました。
残念ながら、住居地図をたよりに民家の裏山にあたる所かなと見当をつけるだけしか出来ませんでした。
おみやげに、『霞ヶ浦町遺跡分布調査報告書−遺跡地図編−』(資料館で1000円で売ってます)を購入しました。 また読む本が増えてしまった。
霞ヶ浦町郷土資料館・風返稲荷山古墳出土馬具のパネル | 風返稲荷山古墳の森 |
古代に時空を超えて
みきこ 2002/08/07 (水) 19:28
猛暑の続く関東地方ですが、この日はそれほど暑くなかったのですが、違う熱気が漂っていましたね。
道が開けたとたん丘陵に柏崎窯跡が見えて感動しましたね。
思っていたより大きくて、古代に時空を超えて行ってしまった様な錯覚を覚えました。
霞ヶ浦を行き来する船、丘陵に立ち上る煙、この地域が古代のコンビナートだったのだと実感できました。
似た構造の窯が近畿地方北部から北陸地方の窯跡で見つかっているという説明が印象的でした。
「今回出土した須恵器の中には外地から来た専門技術者の手によるものと、地元の土器職人が動員されて作ったもの2種類ある」という解説でしたが、残念なことにどの須恵器のかけらがそうなのか教えていただくのを忘れていました。どなたか教えてください。
富士見塚古墳からの眺めもすばらしかったですね。
私の大好きな三昧塚古墳を対岸に眺めながら古代に夢馳せた1日でした。
暑い中、発掘調査をされている方々に頭が下がります。皆様のおかげで私たちは夢を語れるのですから・・・ありがとうございました。
製鉄炉はこの崖の上・木冊の奥で瓦窯(ロストル式平窯)が発掘された | 「箱型の製鉄炉は高さが必要」須田教授の説明にナットク | 崖上の遺跡までワン君も登ってきた! |
製鉄炉の壁面補強に使用されていた常陸国府の瓦、瓦と鉄材はここから霞ヶ浦の上を運ばれ国庁の建設に使われたらしい | 大量に廃棄された鉄滓(カナクソ)の一部 | 製鉄に必須な木炭を焼いた窯が製鉄炉の下の平地から発掘された |
古代霞ヶ浦のテクノサイエンス
さわらびY(ゆみ) 2002/08/05 (月) 22:49
今回の現地説明会は、「霞ヶ浦古代テクノコンビナート」を、筑波大と国士舘大学の連携で実感できた貴重な経験でした。
なんたって、古代の須恵器窯・炭窯・瓦窯(ロストル式平窯)・製鉄炉のしくみと構造をいっぺんに実地で教えていただけたのですから。
現地でお話を聞きながら、頭の中は高校と大学で覚えた化学の復習。うーんなるほど、これらのテクノサイエンスに共通の極意は、「焼成における酸化・還元と燃焼温度」か。
この極意さえ理解できていれば、古代の技術エリートになれるでしょう。でもたぶん当時は最大の企業?秘密。「渡来系技術集団」という単語がでてくるのも無理はなさそう。
胴体しかない埴輪がなぜ「斑犬」?
富士見塚古墳展示館には完全な形の「鹿」と、胴体しかない「斑犬」の埴輪があります。
図録では「犬」ではなく、どちらも「鹿」ですが、展示プレートには「斑犬」と明記。前回来た時に、胴体しかない埴輪がなぜ「斑犬」と決めたのか、議論になりました。
その答えは、「鹿の方だけ、尾の周りのお尻が白い」、そして「鹿は彩色に白の斑点で、犬は無地に色の斑点」という違いにあるのでしょうか。
ニホンジカの生態を調べたら「危険を感じるとしっぽの白い毛を広げて合図する」のだそうです。
先月末職場で小学生高学年を相手に「夏休み理科教室」をやりましたが、8月4日は、わたしにとっての「理科教室」でした。
胴体しかない「斑犬」の埴輪 |
完全な形の鹿の埴輪 |
柏崎須恵器窯の調査終わりました
桃崎祐輔2002/08/16 (金) 23:08
こちらはようやく柏崎須恵器窯跡第4次発掘調査を終えて戻ってきました。
皆様にはたびたびへんぴな現場までお運びいただきありがとうございました。
7月8日の調査開始後、2度台風に見舞われるも被害らしい被害はなく、7月29日には記者発表を行い、朝日新聞を除く6社が取材にやってきました。そして常陽・いばらき・毎日・読売が報道してくれたようで、東京・産経もついたかもしれません。
このあと8月4日には現地説明会を行い、皆様を含め、交通が不便な場所のワリには137人もの見学者が来てくれました。
最終的にはTK217古相併行の地下式窯、全長9m、最大幅2m、窯尻幅70cm、傾斜約30度、窯尻に派生する煙道・作業溝を伴い、周囲および焚口両脇に排水溝をめぐらすことがわかりました。
しかし燃焼室内の須恵器片の量やガラス化した床面の記録に予想以上に手間取り、予定していた12日には到底終わることができませんでした。結局14日まで現地にとどまって埋め戻しを続け、その日の夕刻にいったん撤収してのち、15日にようやく埋め戻しを完了して打ち上げました。