鎮魂の大伽藍と庭園・永福寺遺跡-晩秋の彩りT
2005.12.3 By.さわらびY(ゆみ)
頼朝が一連の戦いの敵方供養のため建立した永福寺は、その後、花見や歌会の場ともなり、またその後の2度の再建に際しては、勝者としての象徴と源氏の氏寺の性格を付与され、鎌倉幕府の栄誉を荘厳する大伽藍となったと考察されています。
1983〜1996年に発掘調査によれば、西の山を背にして、中央には二階堂が、左(南)に阿弥陀堂、右(北)に薬師堂を脇堂として並び建ち、前面(東側)には大池が配され、橋がちょうど右上の写真の柳の木のところまで架けられていたとのことです。
調査後、埋め戻された庭園跡は、その調査の過程を物語るように、草々が不思議な彩りを見せています。