2004.7.4 By.ゆみ
2004.4.26-29
幻の百済と李氏朝鮮の史跡を巡る旅日記
宗廟永寧殿
第3日目(4月28日) 2.ソウルへ=宗廟
5月2日の宗廟大祭を控えて横断幕が張られた入り口の蒼葉門
水原市からソウルへ向かう途中、漢江南岸のオリンピック公園に近いロッテワールド免税店へ寄り、昼食後、漢江を渡っていよいよソウルの旧市街に入りました。
1100万人の都市ソウルは、今も発展する大都市で、特に朝鮮戦争以後、漢江の南岸の地区は、ニュータウンとして拡張し続けているモダンな街です。
山々に囲まれた大河漢江の北岸のソウル旧市街には、朝鮮王朝六百年の都として、都城の南大門・東大門、景福宮(キョンボックン)などの王宮や宗廟が残っています。
朝鮮は、儒教を思想の根本として建国され、特に先祖を崇める祭祀(チェサ)やそれに関わる礼節はとても重要なものとされてきました。
宗廟は、広い苑地の中に李朝時代の歴代王と王妃、功臣の位牌を祀った祀堂で、1395年(太祖4年)に建てられて以降、毎年ここで儒教による宗廟祭礼儀式が行われていて、ユネスコの世界文化遺産に登録されたそうです。
まずは、その宗廟を訪ねました。
祀堂に続く道 さすが真ん中を歩く人は遠慮していません。
正殿の門と築地塀 装飾を廃したシンプルなデザイン
長さ101mの正殿です。
屋根には「雑像という魔よけのようなもの」が乗っている
蒼葉門を入ると、森の中を正殿へ続く道が続いています。この道は、真ん中を「神香路」、東側を「御路」、西側を「世子路」というのだそうです。
正殿は、李朝初期には太祖の4代祖の位牌を、それ以降は当時の在位王の4代祖と歴代王のなかでも特に功績のある王と王妃の位牌を祀り、祭祀を行いました。
現在、正殿には西側を第1室として最も上とし、太祖(1代目)から、李氏朝鮮の最後の皇帝である純宗皇帝(27代)まで、各王と王妃あわせて計49位の位牌が19室に祀られています。
正殿に入りきれず、オーバーフローしたあまり有名でない王と王妃の位牌は、永寧殿の祀られます。
正殿の建築様式は単純ですが、韓国の単一建物としては最長の建物(101m)、門からはワイドレンズでないと、両端は入りきりません。
大祭の様子を数日後の大祭には、王家につながる全国の李さんの子孫が集まって丁重な儀礼を行うそうです。そのときは、この広い月台も大勢の参加者でいっぱいになることでしょう。
偶像的なものほとんど排している中で、屋根に乗っている人形だけがとても不思議です。
ガイドさんのお話では「雑像という魔よけのようなもの」で、乗っている人形は、三蔵法師ほか日本では西遊記として知られる物語に出てくる架空の動物たちのようです。
にぎやかな色彩と神仏像の多い中国や韓国の仏教建築に比べ、合理性と荘重さを旨とする儒教の建築様式は、少々なじみがうすいのですが、そういえば、日本での儒教の祀堂としては、湯島聖堂、墓所としては水戸家の墓所瑞龍山を訪ねた時の印象を思い出しました。
宗廟永寧殿
正殿に入りきれなかった王と王妃の位牌はここに祀られる
カササギが道案内をしています