2004.7.29 By.ゆみ



-真夏の大地に 雨を祈る-

館林市木戸町
ささら舞を追って その1
 



木戸町のささら舞獅子頭


1. 木戸町の郷土史家の私設美術館
 近年にない暑さの続く2004年の夏、友人から「館林のお祭りを見にいかない? お父様が美術館も開いたそうなの」と誘われました。
 そして7月25日の日曜日、いったいどんなお祭りなのか、また美術館ってなんだろう、とわくわくしながら、そのお宅を訪ねました。
 
 場所は、館林駅から足利方面へ北へ5キロ、木戸町という矢場川沿いの街道筋のムラ。まずは友人の知り合いの家に向かいました。

 「亀田鵬齋記念館」のあたらしい看板のある屋敷で、新旧2軒の家があり、新居で冷たいお茶をいただいた後、さっそくお父上の飯島栄一郎翁が旧宅の母屋のほうへ案内してくださいます。
 なんとここは、そのまま江戸時代の最大の書画家亀田鵬齋とその系譜につながる書家・画家の作品と、郷土史料、関連する美術品を独力で蒐集し、展示する私設美術館だったのです。

 飯島栄一郎翁は、戦後の食糧難の中、工兵将校だった経験を生かして、堰から水を台地の畑にポンプアップして「陸田」を開いたり、酪農を導入したりする傍ら、民家に眠る史料や古地図、寺社縁起などから地域の歴史を解き明かし、郷土史と郷土に関係する書画研究に没頭された博識家の方でした。

 

貴重な書画・史料があふれる「亀田鵬齋記念館」と飯島栄一郎氏

「亀田鵬齋記念館」は昔ながらの民家

「記念写真撮るから、集まって!」 「今年は新聞社が来てるのかい」


2. 深諦寺から祭りがスタート

 翁の尽きることのないお話と貴重な書画も魅力でしたが、お祭りが1時から始まるのこと。
 翁のご子息も保存会のメンバーとして獅子舞をされるそうで、昼食後、近くの深諦寺に向かいました。

 深諦寺は村境の寺で、矢場川を橋で渡ると足利市です。
 元は一向宗で、遊行寺有三上人に帰依して時宗満寿寺となりましたが、徳川家治に満寿姫が誕生し、深諦寺と寺名が変わりました。

 天文22年(1553)、会津のお殿様芦名氏の夢にお告げがあって3体の地蔵が城中の沼から出現、その1体がこの寺の満喜和尚の縁でこの地に安置され、「日限り地蔵」として祀られています。
 日限り地蔵は、どんな疫病にも恋の願い事にも日を限ってお願いすると叶うのだそうです。
 
 深諦寺の境内に、保存会のメンバーが集まってきました。
 まずは、記念撮影。
 「祝 アテネ五輪 市制五十周年記念 木戸町獅子舞」の看板がユニークです。
 心ははるかアテネに広がる2004年夏の記念すべき祭礼なのです。
 


これで全員? 2004年アテネ五輪の記念すべき木戸町の夏!

付・亀田鵬斎について