2005.4.3 By.ゆみ

18  市の史跡になった馬場小室山遺跡

馬場小室山遺跡が3月29日付でさいたま市の史跡に指定

 2005年3月30日飯塚さんから「馬場小室山遺跡が3月29日付でさいたま市の史跡に指定された」といううれしいニュースが入りました。

 昨秋、飯塚さんと鈴木正博さんの働きかけで、12月さいたま市議会において鳥海敏行議員が「馬場小室山遺跡のような貴重な遺跡がさいたま市で発見されたことは市民にとっても、大きな誇りとすべき発見」と訴え、岡まち子議員が「市有地を活用して、散策路をつくり、小室山遺跡の説明や遺跡、出土土器のパネルなどを展示して、市民に公開してはどうか」と提案していただいたことの成果でした。

 振り返ってみると、これまで、遺跡と自然と市民の心に受けた痛みは、あまりにも大きかったと思わざるをえません。

 遺跡の土地が物納され、飯塚さんほか5500人の署名が提出されたあの2003年の時点で、貴重な史跡としての認識がもう少し市や市教育委員会にあったなら、と悔やまれて仕方ないのですが、今後は未来に向かって、かろうじて残ったこの遺跡の景観を、市と市民の努力でまもっていきたい思います。

 この市の史跡指定をうけて、当初考えていた2004年9月30日調査強制終了の一周年行事「フォーラム小室山の日」の企画は、現在2005年10月2日に広く市民にも参加を呼びかける「史跡指定記念フォーラム」として、実現しようとしています。

 馬場小室山遺跡は、環状盛土遺構という縄文の集落と社会を解明できる重要な遺跡でありながら、埋蔵文化財行政の不適切な典型事例となってしまいました。

 そして市町村合併に伴う埋蔵文化財行政の安易な合理化の流れの中で、各地でも第2、第3の馬場小室山遺跡が出てくるのではないかと、考古学研究者や他の自治体の担当者にも深刻な危機感をもって受けとめられはじめてきています。

 考古学研究者と文化財行政担当者が、市民とともに学びあいながら遺跡の重要性や調査の学術的な成果を共有し、その活用を行政に提案していくことが、この危惧される状況を打破できる道ではないかと思います。
 そして今、その実践が、満身創痍の馬場小室山遺跡の森から始まろうとしているのです。

4月1日 市の説明プレートが設置された

 「さいたま市指定史跡 馬場小室山遺跡」のかわいいプレートが設置されていました。かわいらしいプレートは3枚。小室山出土品の写真が2枚と、遺跡の説明が1枚。遠目にはベンチが置かれたかのように見えました。 4月1日の昼前、犬の散歩に出た娘が気付きました。」という飯塚さんからのメールが、4月2日夜に届きました。

 ついで4日3日朝、 昭島市にお住まいのT.Hさんからも、「昨日(4/2)、再び遺跡に行ってきました。笑わないでくださいね。場所は2ヶ所に同じものが立っています。以前、飯塚さんが案内板を立てられていた所と、武笠家の間から入った窪地と建売住宅の間(先日のクリーンアップ開始前に鈴木先生が説明された所)です。」というメールが届き、そしてできたての説明板プレートの画像が添付されていました。
⇒クリックすると大きくなります  撮影 T.Hさん2005.4.2
 説明プレートには次のように記されています。

 さいたま市指定文化財 「史跡 馬場小室山遺跡」  平成17年3月指定
 
 馬場小室山遺跡は見沼低地を見下ろす台地上に位置する縄文時代の集落跡です。
 これまでに区画整理や宅地造成事業に伴い発掘調査を実施した結果、この集落では縄文早期から人々の活動が始まり、中期になると大規模な集落が営まれることがわかりました。
 さらに、後期から晩期にも集落が継続されますが、この時期には特徴的な「盛土遺構」があります。
 出土品は、県指定文化財の「土偶装飾土器」や「人面画土器」のほか、信仰や祭りに使われる土版・土偶・土製耳飾・独鈷石・石棒・石剣などが発見されています。
 史跡に指定された場所には、遺跡の中心となる窪地と盛土遺構が残されています。
                                                さいたま市教育委員会

 画像を送ってくださったT.Hさんもまた、幾度となくこの遺跡の通われているおひとりです。

 2005年1月30日の馬場小室山セミナーの前に初めてメールをいただきました。
 「私は考古学の専門家ではありませんが、あることをきっかけに、十数年前から考古学に興味を持ち、勉強させていただいています。
 昨年は、たまたま、三輪野山貝塚(流山市)、雅楽谷遺跡(蓮田市)の現地説明会及び井野長割シンポに参加し環状盛土遺構に興味を深めていた矢先に、鈴木先生のSOS発信で、馬場小室山遺跡を知ることとなりました。
 発掘終了間際の9月28日をかわきりに、これまでに3回、遺跡並びにその周辺を探索させていただきました。
 素晴らしい遺跡が破壊されることは、保存運動に関わられた方々と同様に、残念でなりません。
 是非、1月30日には参加させていただき、皆様と一緒に勉強させていだきたいと思います。
 一人で遺跡の中や周辺を散策していますと、何となく周りの方々に(泥棒かと・・・笑)怪しまれる?のがいやで、家内を連れ出したりしております。」

 市の史跡に指定されたことの背景には、飯塚さんと鈴木正博さんの積極的な行動を軸に、馬場小室山遺跡に心を寄せるT.Hさんのような方々の思いがひとつになったということがあると思います。

 
 三室にも春がめぐってきました。
 小室山を桃の畑から遠望すると、高い欅の梢が春の空に精一杯背伸びをしています。
 西側の森が失われ、すっかり透いてしまった樹林ですが、神のこもる三室(御室)の地の象徴として、これからは遺跡とともに末永く在りつづけるよう祈っています。


春の小室山遠望 2005.3.27
大樹が密生していた森も、今は透いて見える

⇒「三室の春」「ふぉとすけっち・史跡歳時記」