2005.6.18 By.ゆみ

21.馬場小室山遺跡から何かが始まる!(1)


1.6月12日 朝、馬場小室山遺跡にて

削られた盛土の元の高さがブロック塀に残っている 2005.6.12


 そろそろ梅雨入りの季節にもかかわらず、さわやかな晴天に恵まれたこの日、朝からさっそく小室山現地へと向かいました。

 飯塚氏から「6/9 木曜日、小室山の武笠家の敷地内でも工事が始まっていた。分譲地に沿って3メートルほどの幅で整地している。残された盛土遺構の上にもキャタピラの通った跡がついていてこれは大変だと思い・・・」とメールをいただいていたので、とても気になっていたのです。

 窪地西側の盛土の上には、家が建ち並び、その南側の武笠家の敷地内はご覧のように、竹藪がとその根が除去され、盛土の頂点付近は20cmぐらい表土がはがされたようになっています。
 削られた盛土の表土の跡が、ブロック塀に残っていましたが、幸い土器片も数個見つかる程度で、遺跡の包含層が大きく撹乱される事態にはなっていません。
 これから新築住宅との境に、目隠しのフェンスが設置されるとのことです。
 工事の職人さんや作業員に遺跡という認識がされているかは、期待すべくもないこと。
 盛土の上の新築住宅地内も含め、今後は小工事に際しても、住民や工務店に細心の注意をはらってもらえるよう、行政当局の指導が常時必要となってくるように感じました。


2.「市民フォーラム実現へ向けて準備会スタート

 いつの頃からか、毎月のように馬場小室山に集まるメンバーの中なら、馬場小室山遺跡の調査が「終了」した2004年9月30日から一周年の2005年10月1〜2日に、「市民フォーラム」と開こうという声があがってきました。
 
 そして12日午後の馬場小室山遺跡研究会ワークショップに先立つ午前中、その準備のための会合が、三室の東大能研の教室をお借りして18人の参加で開かれました。

 馬場小室山遺跡と出会い、遺跡に学び、遺跡の保全を訴えてきた市民と考古学研究者が、共にフォーラムを開き、その意義を後世に引き継いでいこうというつぶやきが、2005年3月さいたま市史跡指定をきっかけに、実現へ向け具体化してきたのです。

 初めての顔ぶれもありましたが、これまでの研究会や地域での活動を通じて思いはひとつ。
 充分、機が熟しての準備会でしたので、「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」の実行委員会立ち上げの趣旨と、フォーラムの内容、必要な資金と、実行委員会組織、事務局の編成などが、とんとん拍子に決まりました。

 組織については、実行委員長には、馬場小室山遺跡の近くに在住の大田尭先生(東大名誉教授・教育学)、副委員長には縄文遺跡の研究者の阿部芳郎先生(明治大学教授・考古学)に就任いただき、実務を事務局が担当します。

 午後の研究会終了後、委員長のお宅で、第一回実行委員会を開き、正式発足する予定。
 馬場小室山はなんでも決まるのが早い!ですね。


3.「馬場小室山研究会」第6回ワークショップ その1「考古学実習入門」

 午後から遺跡近くの三室公民館の講座室に集まって「馬場小室山遺跡研究会」を開催、半年の歳月を重ね、とうとう6回目となりました。

 最初は「考古学実習入門」です。
 初めて参加の方にもわかりやすいよう、埋蔵文化財行政の専門家から、整理の仕方を説明していただき、馬場小室山遺跡から救出した土器の洗いと、「馬場小室山第2遺跡」(小室山の遺跡からの廃土が投棄された見沼田んぼの埋立て場のこと)からの資料の注記作業を、二手に分かれて行います。

 外での土器洗いは、晴天の中順調に進み、昨年10月の遺跡破壊現場の泥んこの中から皆で拾った懐かしい土器が、丁寧に洗われて干されていきます。



やはりこの作業のほうが楽しそう (福嶋氏撮影)

僕が洗っているのは↓の真ん中の土器です
   
土まみれだった土器片がこんなにきれいに

鈴木先生の手の土器にに皆の視線が・・

土器が乾く間は 考古学談義に花が咲いて・・


 教室の中では、注記作業
 極細の面相筆で、土器に出土遺跡名「小室山第2」の文字を白のポスターカラーで、1点1点小さく書き込みます。
 ポスターカラーが乾いたら、擦れても消えないように上に透明の速乾性ニスを塗ります。
 これが意外とたいへん。 プロの方のようになかなか小さく書けないのですが、土器の表裏・上下を確かめながら、縄文人の手先の器用さやそのデザインの複雑さやセンスを感じていく時でもありました。


土器への注記作業

考古学専攻大学院生のなれた手つき

こちらは、にわか学生

白のポスターカラーで丁寧に記入します

しばらく乾かして

字の上に、ニスを塗ります

おおぜいの協力で作業は順調に終わり、休憩後「馬場小室山遺跡の研究」の講演会となりました。(続きは次ページへ)