2005.7.8 By.ゆみ
23.馬場小室山から市民フォーラム開催を発信!
1.馬場小室山に夏がきました。
連日の梅雨にもかかわらず、この日の朝は雨の心配もなく、やや涼しい曇りがちの天候の中、小室山の現地は初めてという方々をお連れして、朝の小室山遺跡を歩きました。
西側の盛土遺構の上に建つ新築住宅も完成に近く、すっかり遺跡の様相も変わりました。
市有地内の中央窪地と北側の落葉樹もすっかり葉が茂って森の中は薄暗く、日当たりのよいところでは、夏草が元気よく生い茂っています。3月に市が設置した説明板も夏草に埋もれてしまいそう。
「市有地につき無断立入り禁止」の張り紙がなければ、子供たちの探検ごっこにもうってつけの森。
今後のこの森をどう活用していくか、市民の提案と力量が問われているのかもしれません。
孟宗竹の生い茂る中央窪地2005.7.3
「市有地につき無断立入り禁止」の張り紙の前で
中学側の道沿いの遺跡説明板も夏草に埋まってしまいそう
西側の盛土遺構の上に建つ新築住宅も完成に近い
通いなれた三室の道
ひまわりが満開
2.「市民フォーラム」実行委員会お誘いのリーフレットができました
この日の午前中も、三室の東大能研の教室で「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」の実行委員会事務局ミーティングが開かれました。
前回の話し合いを踏まえて、フォーラム実行委員会へのお誘いのリーフレットもできあがりました。
10月2日さいたま市緑区の「プラザイースト」で開くフォーラムでは、さいたま市教育委員会が発掘調査したその内容をぜひ報告してもらいたいという要望もだされ、市民の主体性を軸に、少しずつ、フォーラムのプログラムも具体化してきています。
☆あなたもぜひ、実行委員会になってサポートしてください。
⇒実行委員会へのお誘い(印刷用PDFファイル)外面・内面(三つ折)
3.第8回目になった「馬場小室山研究会」ワークショップ
午後からは三室公民館の講座室で新しい方々数名も参加されて「馬場小室山遺跡研究会」が開かれました。
レジメのはじめに「馬場小室山遺跡−縄文のムラの景観」を紹介、初めての方にも遺跡をめぐる経過を知っていただきました。
そして「馬場小室山遺跡研究会」のような考古学の領域を「パブリック・アーケオロジー」といい、市民が遺跡についてより深く知るだけでなく、市民が遺跡に対し主体的に関与している姿を、今後はこれからの世界に向けて発信していくことの意義について、鈴木氏より話されました。
続いての「考古学実習入門」は、前回洗った馬場小室山遺跡から救出した土器に注記する作業です。
「小室山」の文字と年月日を、面相筆をもちい白のポスターカラーで、なるべく小さく記していきます。(と、言っても初心者には、ムズカシイ!)
今回初めて参加の方が、とても小さく丁寧にお書きになられるのでお尋ねすると、ある市の埋蔵文化財発掘調査の補助員としてお仕事されている方でした。
「すごい土器がたくさんあるのですね」とおっしゃられ、「これは珍しい型式のようなので、先生にうかがってください」と地味な紋様の小さな土器片をピックアップされました。
斉藤弘道先生にお聞きすると、縄文早期三戸式土器で、口唇部が内削ぎ状に加工されているのが特徴とのこと。馬場小室山遺跡でもとても希少性のある土器でした。
来る途中、現地もお一人で見てこられたとか。こうして人づてに馬場小室山遺跡のことを聞き知ったりして参加される方の輪が広がっていくことはとてもうれしいことです。
次回のワークショップでは、いよいよこれらの土器の分類が開始され、面白い実習となることでしょう。
今日は全員で現地から救出した土器へ注記をします
保護した日付別に袋詰めされています
「小室山」の文字と年月日」と小さく記入。
縄文早期三戸式土器だそうです
注記作業のあとは、阿部芳郎副委員長から、馬場小室山遺跡フォーラムに向け、そのプログラムのコンセプトとなる課題についてお話がありました。
10月2日のフォーラムの目的は、さいたま市馬場小室山遺跡の重要性をひろく一般市民に周知し、今後の保存と活用をふくめた地域的な取り組みの方向性をわかりやすく示すことです。
その前日は、「環状盛土遺構」から縄文社会を考える学術的なシンポジウムとなる予定。
縄文中期〜晩期社会の中での「環状盛土遺構」の性格と意味を検討するため、最前線の研究者の議論の深める場としましょうと、ご提案いただきました。
最後に、定例となった「モース『大森貝塚』に学ぶ」の第6回。
大学院生による丁寧なレジメと講義は、アカデミックでとても好評です。
『大森貝塚』で用いられた方法論は、現在の考古学にも通用する先史社会の究明の方法でした。
モースは、考古学的方法(土器・石器の製作技術とその比較検討、文献とのクロスチャック、地質・地形学からの検討)、人類学的方法(形質人類学的検討、動物考古学的検討)、民族学的方法などのさまざまな手法を駆使しています。
そして「狩猟採集活動をおこなっていた大森貝塚を営んだ人々の生活を復元」しようとしたその手法には、民族考古学の萌芽をみてとることができるということです。
市民が主体の「パブリック・アーケオロジー」の実践は、この日も一歩、あゆみ始めました。