2005.7.30 By.ゆみ

24.市民フォーラムに向け、忙しい夏になりました

1.さわやかな朝、さいたま市・市教委の後援決定の朗報

遺跡の市史跡の森と、「住宅街」となった西側部分 2005.7.24
 
森と住宅の境の塀沿いにはまだ土器片が顔を出してきます


 梅雨明けて初めての日曜、7月24日のこの日の朝も馬場小室山はさわやかに晴れました。
 例によって、遺跡に立ち寄ってから、一同、三室公民館での10時半からの第3回事務局会議に臨みます。
 
 まず、事務局長より、10月2日(日)の「馬場小室山に学ぶ市民フォーラム」に、さいたま市とさいたま市教育委員会の名義後援が決まったという文書が7月20日に届いた旨、報告がありました。
  続いて鈴木氏からは、第1回、第2回の事務局会議の大要から、市に提出した実行委員会の会則と企画書の説明があり、了承されました。

 そしていよいよ、私たちが楽しみにしている10月2日市民フォーラムと前日のプレフォーラムのプログラムの検討です。
 市民主体の企画に、行政と研究者にも協力いただき、稔りあるものにしたいというのが、私たちの願いであり、さいたま市と市教委の後援が決まったこともあり、なんといっても遺跡の最新の発掘調査報告が期待されます。

 前日の1日(土)は、研究者を中心としたプレフォーラム。こちらの企画担当は、副委員長の阿部先生です。
 研究者と自由に質疑できるランチョンセミナーの企画など、具体的なことも決まり、これからは、会場の下見のほか、フォーラム内容の深耕が課題となってきます。
 フォ−ラム準備に専念する今までにない経験の夏になりそうです。
 
 ⇒フォーラムのプログラム案


市と市教委の後援決まる! 7.24事務局会議

2.馬場小室山遺跡出土の土器片の整理
 午後からは、遺跡研究会の第8回ワークショップ。
 この日の「考古学入門実習」では、発掘調査終了後、宅地造成中の馬場小室山遺跡や、排出残土の投棄場所(「馬場小室山第2遺跡」)で救出・保護したたくさんの貴重な土器の分類・整理を始めました。
 日付別・遺跡別に袋に入っている土器片を、それぞれ、1.口縁部、2.胴部、3.底部に分け、数をカウントし、集計用紙に記載します。
 これが済んだところで、縄文早期〜晩期の型式別に分類して代表的な土器を選んでもらい、それぞれの型式に精通している研究者に解説していただきました。

 土器に興味を持つメンバーには、「今日が一番おもしろい日」とか。
 ダイナミックな紋様の中期の勝坂式、後期は縄文や沈線を駆使した加曽利E式・掘之内式が種類も多いようです。
 後期の加曽利B式は意外に少なくて、続いて安行式が、後期後半の1式から後期終末の2式、晩期の3a式から3d式までそろっていて、その変化の系譜もたどることができました。


口縁部、胴部、底部に分け、数をカウントします

分類をしながら、土器型式の解説をしていただきました

中期? 右端は勝坂式

中期勝坂式

中期加曽利E式

後期堀之内式

後期加曽利B式

口縁部の突起の刻みの変化で
安行1〜3式の系譜を追う

晩期になると東北の大洞式の
影響を受けて三叉紋があらわれる

左は大洞式
(東北育ち?)

入組み三叉紋の
安行3d式
土器を詳しく見たい方は画像をクリックしてください


 3.第7回目になった「モース『大森貝塚』に学ぶ」
 最後に、定例となった「モース『大森貝塚』に学ぶ」の第7回。
 今回は、鈴木正博さんが、『日本語訳としての「貝塚」とは本来何を指したものなのか?』という視点から、「近藤・佐原の名訳に隠 れた自然科学的文章本来の妙味は?-用語が違えば意味も違う!」と題しての2回目です。
  熱のこもったご講演の記録を「講演録」として載せましたので、ゆっくりお読みください。
 
  ⇒7/24 「モース『大森貝塚』に学ぶ」の鈴木正博氏講演録へ