2006.7.17
By さわらびY(ゆみ)

30 「雄姿」を見せた2006年夏の馬場小室山


 

いつもの小室神社入口に集合

今回は明大生が大勢参加してくれました
7月16日(日)馬場小室山遺跡研究会第22回ワークショップを開催します」
とのお知らせが届き、午前10時半、いつもの小室神社入り口に、今回も20名以上の市民や学生が現地見学のために集合しました。

 今回の現地見学の目的は、下草がさいたま市によって刈りはらわれ、よく見えるようになった遺跡の起伏確認することと、10月15日に予定される第3回市民フォーラムで公開予定の自主制作ビデオの撮影に協力することです。

 この日の現地は、梅雨明け間近な蒸し暑い天気でしたが、午前中は幸い雨に降られることもなく、姿を現した遺跡を踏査することができました。

 前回の5月4日の市民による第2回クリーンアップ大作戦の効がそうしてか、市によって密林のように繁茂していた潅木類が刈られ、思いのほか長く広い稜線と高さを有する第一号土塚の「雄姿」と、竹やぶで足を入れづらかった中央窪地の姿を実見できます。
 (とは、言っても、足元は灌木や竹などが刈られたままで、さらに今は藪蚊の大群が大発生していますので、お散歩にはおすすめできません。)

 遺跡をひととおり歩いてみた後、ビデオ撮影のプロのカメラマンと、鈴木「監督」の指示に従って、環状土堤と中央窪地の範囲がよくわかるよう、明治大学考古学教室の学生・OBなどの参加者一同が「エキストラ出演」して、ビデオの撮影が行われました。
 (薮蚊に刺されながらのご協力、ご苦労様でした。)




遺跡北側(三室中学校側)から見た第一号土塚の斜面
日当たりのよい手前通路は、もう夏草が伸びてきていますが、
樹木の間の堤状の斜面はよく見えるようになりました。

第一号土塚の南側(小室神社側)の斜面。 
縄文晩期に縄文人が立ち去った後の土塚が、
地表面に現われている貴重な遺構の姿です

中央窪地から環堤斜面を踏査。以前ここは密林状態でした

第一号土塚頂部にカメラを据えて、遺構の撮影

参加者総出演で「中央窪地」の範囲を囲んで、第一号土塚の上からのビデオ撮影に協力しました


 午後は、三室公民館和室での恒例のワークショップ。(レジュメ参照)

 前回は、お近くのNさんが、遺跡からの廃土集積地(見沼田圃の中の「馬場小室山第二遺跡」)で収採した土器・石器を持って来られましたが、今回は、32次調査“強制”終了当時から、個人的に土器の救出にあたり、現在も第二遺跡で採集を続けているS君が、6月4日に採取した遺物を持って来て、土器の型式の鑑別などを鈴木ご夫妻や明大OBの研究会メンバーから教えてもらいました。
(今回の資料では、写真の縄文後期加曽利B1式の口縁部破片が注目されました。これは埼玉や東京の遺跡には有るが、千葉や茨城では見られない土器とのこと。)
 
 また、画家の井山氏が制作中のジオラマの考古学的な考証を、メンバーで検討。
 遺跡の年代別多層構造のジオラマを作成し、往時を復元した「環堤土塚」の集落のイメージをわかりやすく見てもらえるよう、熱心な討論が行われました。

 休憩後は、いよいよ鈴木正博氏の講演。
 「馬場小室山遺跡入門講座―日本先史考古学における「土器型式」の追及と社会構成への接近―」として、 (1)2006年5月28日に行った日本考古学協会第72回総会発表内容【馬場小室山遺蹟における「環堤土塚」の研究―多世代土器群を多数埋設する風習を中心として―】を解説、また(2)大宮台地における縄文時代後晩期の集落解明にはどのような研究視点が必要か?というテーマでお話いただきました。

 また最後に、パブリックアーケオロジーの実践例として7月1-2日、八千代市で行われたシンポジウム「印旛沼周辺の弥生土器」について短い報告が主催者を代表して八千代市民の一人から行われました。

 次回第23回ワークショップは、8月12日(土)の予定。10月15日の市民フォーラムへ向けて準備を進めていきます。


S君の集めた土器を皆で鑑定しました

堅果をつぶすための穴のある石皿の破片。


加曽利B1式の破片

注口土器の部分

和室でのワークショップは初めて

井山氏が制作中のジオラマの検討

近くの八雲社のお神輿が通る夏祭りの午後でした