2006.10.21up By.ゆみ(Y)
主催:「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」実行委員会
32 第3回馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム−語りつぐ「見沼文化」-T
2006.10.15 AM -語りつぐ-「馬場小室山遺跡はどんな遺跡だったのか」
ムロさま「皆集まって、何を見てるのでしょう?」 オムちゃん「一番下を見てご覧、ね、ボクたちのムラだよ」
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スタンバイ OK!
昨年秋から3回目のフォーラム、今回のサブタイトルは「語りつぐ見沼文化」です。さて何が飛び出すか、お楽しみ!
受付の準備も手馴れて |
講師のパワーポイントも大丈夫 |
報道担当者と打ち合わせ |
カラー表紙の資料集 |
10時からの開会を待つご来場の皆様 |
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☆AM(1) 開会のご挨拶は 実行委員会阿部芳郎副委員長
「誰かが動かなければ、遺跡は何も語りかけてくれません。」
午前10時から、阿部芳郎先生(明治大学)の副委員長の挨拶でフォーラムはスタートしました。
「人間の体の中には、時計と地図があるといわれていますが、毎年この季節になると馬場小室山に心が行きます。
遺跡の重要性と活用、残された部分をどういかしていくか。誰かが動かなければ、遺跡は何も語りかけてくれません。
最初は、環状盛土遺構の研究に呼ばれたのがきっかけでしたが、いつしかずるずると深みにはまって・・(笑)
今では、研究と活用、パブリックアーケオロジーへの取り組みの中で、全国の遺跡の活用にとって将来、貴重な事例として語りつがれるような取り組みを始めたところです。
研究者の視点は狭く、なかなかわからないことも多いのです。
一般の方々の声や率直な質問は貴重ですので、今日はなるべくたくさんの質問に全力でお答えしていきたいと思います。」
阿部芳郎副委員長の挨拶
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☆AM(2) 基調講演「土偶装飾付土器と人面画付土器が出土したとき」
基調講演の小倉均さん阿部先生の挨拶に引き続き、小倉 均氏(さいたま市教育委員会)に、「土偶装飾付土器と人面画付土器が出土したとき」について基調講演いただきました。
「男女の土偶のついた土器は、どちらの頭部も欠けた状態で、一生懸命探しましたが、第3次調査は狭い範囲の調査で、しかも東半分がすでに土取され遺跡が壊されていたので、残念ながら見つかりませんでした。
第5次調査では、最後に掘っても掘っても、底のでない51号土坑に、調査を延長し、遅くなるまで発掘調査をしました。
125平mの調査範囲には遺構がいっぱいで、注口土器や壷型土器がまるで置かれたような状態で出ました。
普通なら黄色い土のところまで掘って遺構を見つけるわけですが、ここの場合はほとんど真っ黒。ところどころにローム層がおっこっている状態でした。」
土偶装飾付土器
2006.9.17撮影
三室中学校建設時の遺跡航空写真
人面画付土器
2006.9.17撮影
出土した土偶装飾付土器
土偶装飾付土器の出土した第3次調査
第5次調査で発掘中の51号土坑
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☆AM(3) 座談会 「馬場小室山遺跡に学ぶ」
-会場からの活発な意見と質問にこたえて-
基調講演をされた小倉均さん、前回のフォーラムで第32次調査の報告をされた柳田博之さん、明治大学の阿部先生、実行委員の斎藤弘道さんが壇上に並び、会場からの質問に答える形でお話しいただきました。
「土偶付土器の出た層は、上から新しい順になっていたのですか」(⇒晩期後期中期となっていました)
「馬場小室山遺跡には貝塚はないのですか?」(⇒小さな貝塚が前期の遺跡からあったが、中期〜晩期はありません)
「土坑とは?」(⇒骨があれば墓あな、食料の入っているのは貯蔵穴なのですが、性格がわからないから単に「土坑」といいます)
「窪地とは何か?」(⇒自然の窪地と、人工的に削りだしているのと二つの説があります。高まりには厚いたい積が見られますが、窪地を削りだしたらもっと、ロームの土が出るはず)
そのほか「馬場小室山遺跡には縄文より後の遺跡がないのはなぜ?なんで三室から人はいなくなったのでしょう?」「遺跡が市の史跡に指定されたが、その後調査される予定は?」などの質問が続き、会場の青木義脩さんにお答えいただいたり、、市議会での同様の質問への答弁内容のFAXが飯塚さんによって披露されるなど、会場を巻き込んでの活発なやりとりが行われました。
第32次調査を担当された 柳田博之氏 |
会場からお答えくださった 青木義脩氏 |
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阿部芳郎氏 |
司会の斎藤弘道氏 |
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最後に阿部先生のコメント 「こういうように質問を会場からいただくのは、まれなケースで、貴重な財産としていきたい。 過去の調査は1%ぐらいの遺物が博物館に入って、あとの99%は収蔵庫の暗いところに入ってしまっています。 行政的な発掘が多いが、いずれ遺跡に立てなくなるかもしれない。大学は研究のための発掘で、一般の方や地元の方の興味に応えて調査していくことは充分にありえることかもしれません。 学際的な研究には、一般の方々をとり込むことによって豊かな視点が生まれます。 第1次〜第32次調査の報告が、その活用の機会を待っているのです。」 |