2007.10.17up By.ゆみ(Y)

2007.10.8  主催:「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」実行委員会 

36 第4回馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム
−「見沼文化」と漆工芸−


V フォーラム PM 編



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 ☆語りつぐ馬場小室山遺跡

午後は、 昨年フォーラム実行委員会で自主制作した記録ビデオ「見沼をのぞんだ縄文むら-馬場小室山遺跡に学ぶ」の上映に続き、このビデオ作品をつくられた浅野光彦氏(映像プロデューサー)に「映像考古学」による記録と継承」と題してお話しいただきました。

続いて「音楽による追憶と継承」、実行委員会事務局長の飯塚邦明氏の自作「小室山のテーマ」組曲のピアノ演奏。すっかりおなじみになった名曲です。

『「映像考古学」による記録と継承』 浅野光彦氏

「音楽による追憶と継承」  飯塚 邦明氏
浅野氏のお話から
「映像の中で少年が土器を洗っている写真がありますが、パブリック・アーケオロジーとは普遍的なものです。
植物学者の本田正次氏は、植物学は、植物学者だけのものではない、天然記念物の植生が壊されていく時、保護の主体は国民だと言って、日本植物友の会に結集を呼びかけました。
華道やその他一般の人も多く参集し、全国の植物調査なども行い、法制学者の佐藤達夫氏も本田氏を評価して、自然を守る運動として全国に広がっていきました。
パブリック・アーケオロジーも同じように始原的なものです。
映像では、阿部先生など縄文考古学の方のほか、飯塚さんなど一般市民の良識から出発し地域に広がっていく姿を記録しています。
縄文考古学の発想の原点、現場を基本に、議論していく様子も撮っています。
映像は時間を記録するもので、映像を見た人が理解し、共有するプロセスを創るものです。」

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「見沼文化」への新たなる眼差し:赤と黒の縄文世界と縄文土器との対話


縄文土器を製作されている造形作家の井出政男氏と、画家でジオラマを製作された井山紘文氏の両氏で、縄文土器と赤と黒の縄文世界について対話していただきました。
        

「釈迦堂の土器が、私を呼んでいました」
井出 政男氏(造形作家・ギャラリー「風画」)

「赤の色を出すベンガラも産地によっていろいろな色調があります」
井山 紘文氏 (画家)
井出さんのお話から
「土器は、博物館のガラス越しでは、遠くにしか感じられません。
このモデルは、釈迦堂遺跡博物館の収蔵庫でだれにも見られることなくほこりをかぶっていた土器で、縄文中期の井戸尻から曽利T式のころの土器でした。
形が非常に複雑でたいへん作りづらく、とても割れやすい土器です。
単純な形の加曽利E式の深鉢などは焼成中に割れることは少ないのですが、なぜこんな割れやすい土器を作るのか、その意識の違いを知りたいです。」

井山さんのお話から
「赤は再生、黒は怖さと畏敬の念を表しているのだと思います。森はちょっと入っただけで恐さと怖れがあった。森の中で育っていくもの、そして土の中から生まれる動植物の強さを表しているのです。
土器の形の中には土の命が込められている。夜の野焼きはいいね。真っ暗な闇に炎がめらめら、実に神聖な場所です。」

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「見沼文化」の漆工芸や「オムちゃん」と「ムロさま」の考古学

 最後はやはり、事務局から、鈴木正博氏と五十嵐聡江さんによるパブリックアーケオロジーについてのメッセージとまとめです。

さいたま市における縄文時代遺跡の中で特筆すべきは、芝川流域の見沼低地をのぞんだ地域文化の形成と展開です。 
見沼という自然環境に適応し共生した縄文人の叡智の結晶として漆工芸が、「オムちゃん」の時期に特に発達し、正に「見沼文化」に相応しい環境を維持してきました。
 「見沼たんぼ」のルーツである考古遺産が豊富にあり、街づくりにとっては地域資源としての活用と環境の見直しが強く望まれています。
                        

「見沼文化」の漆工芸や「オムちゃん」と「ムロさま」の考古学
五十嵐 聡江氏 (葛飾区郷土と天文の博物館)

私たちの目指すパブリックアーケオロジーとは

事務局から 鈴木正博氏

閉会のあいさつは、実行委員会副委員長阿部芳郎氏
阿部先生のあいさつから

「遺跡という場所は、人を呼ぶ。馬場はあれからどうなったかと、毎秋気になります。
なくなった遺跡がどうであったか知りたいと集う馬場小室山は、実に学際的で、日本では数少ない事例となるでしょう。
教科書に載っている載っている大森貝塚の未来を考えるシンポジウムを来年、百歳になられる斉藤忠先生をお招きして、予定しています。
さまざまな手法を使って考えるという点では、130年前の大森貝塚とよく似ています。
来年もまた馬場小室山でお会いましょう。」
 ではまたね