2007.12.7
By さわらびY(ゆみ)
37 第31回ワークショップ「遺跡のサイエンスとアート、そして・・・」
貝塚の形成からみた「見沼文化」―地域文化への眼差しとしての縄文海進―を学ぶ
第4回フォーラムが終わって、11月は品川区歴史館に大森貝塚をテーマにした特別展とシンポジウムに出かけたり、さまざまなイベントに参加しているうちに、2007年ももう12月。馬場小室山遺跡研究会のワークショップも第31回目になりました。
12月1日、この日のワークショップは、午前中、浦和博物館の特別展「さいたま市内の貝塚―土に埋もれた海の記憶―」の見学、そして午後は、市民フォーラム実行委員会の事務局長の飯塚邦明氏の7回目のジャズピアノコンサートを楽しもうという企画です。
東浦和駅に集まって、バスで馬場折返し場下車。小春日和の中、見沼代用水西縁の景色を眺めた後、市立病院構内を通って向い側の浦和博物館に行きました。研究会としてこの博物館をみんなで訪ねたのは3回目、最初は2005年1月でしたね。
浦和の街は、欅の紅葉が真っ盛り。JRの駅前広場も病院ものびやかなこずえが、紅に染まっていました。
見沼代用水西縁、もう並木の桜の紅葉は散ってしまいましたが
市立病院のけやきは今が盛りでした。
11月の品川区歴史館で知った大森貝塚など東京湾の貝塚に比べ、海に面していないさいたま市の貝塚の姿とは・・・ 特別展「さいたま市内の貝塚」は、まずは地味な貝層の実サンプルの展示から始まっています。
鈴木正博さんの解説によれば、「奥東京湾に突き出た半島状の大宮台地の東側は中川低地、西側は荒川低地で、半島状の南端に当たる川口市は、両低地や見沼が交差する環境に恵まれ、海退時の環境変遷に適応した縄文時代後晩期の貝塚が発達しており、川口市に隣接するさいたま市は、海進時の早期や前期の貝塚、とりわけ前期の貝塚集落が多く見られる」とのこと。
海進の頃の関東の地形と貝塚について、鈴木さんの説明
縄文早期・前期のさいたま市の姿と貝塚
左:宮ヶ谷塔貝塚(前期・ハイガイ主体) 中:南方遺跡(後期・ヤマトシジミ主体) ・右:大谷場貝塚(前期・ヤマトシジミ主体)
左:八雲貝塚とA21号遺跡 右:篠山遺跡の展示
さいたま市の貝塚・遺跡出土の深鉢
左:A21号遺跡(前期諸磯式) 中:大古里遺跡(前期黒浜式) 右:椚谷遺跡出土(中期勝坂式)
なお、一口に「貝塚」といっても、真福寺貝塚のように遺跡名に貝塚を冠するのは72遺跡のうち45貝塚だそうです。
ほかは貝殻散布が確認されず、発掘調査で貝層が検出された例が殆どとのこと。(⇒レジメ)
馬場小室山遺跡もそのような遺跡の一つで、昭和59年の発掘調査で縄文早期末の土坑からハイガイを主体とする貝層が見つかりました。昭和59年の調査で、後期(堀之内式期)の土坑からウグイの骨が、平成16年には、獣骨などが出土しているそうです。(当日の解説パネル)
また、昭和57年の調査で見つかった骨製髪飾りが展示されていたりして、私にとっては馬場小室山遺跡についての新しい発見がひとつ増えました。
馬場小室山遺跡の土坑内の貝層
馬場小室山遺跡出土の骨製髪飾り********************************************************
「飯塚邦明ジャズピアノコンサートNo.7」鑑賞
午後はさいたま市文化センターへ移動し、「小室山のテーマ」の作曲者でもある市民フォーラム事務局長 飯塚邦明氏のコンサートを心置きなく堪能しました。
馬場小室山で出会った仲間は、考古学の専門家のほか、飯塚さんや画家の井山さん、映像プロデューサーの浅野さんなど、その道でも有名な多才なメンバー。それぞれがご自分の世界を築かれておられること、そして市民フォーラム実行委員会がこうした自立し、自覚した市民に支えられていることに、今更ながら感動させられました。
←飯塚邦明のピアノと
山口ひろしの津軽三味線のセッション
↑ロビーの市民フォーラム資料
さて来年早々、遺跡の保存と活用を考えるヒントとして、「大森貝塚保存会」に学ぶ視点と考古学史のおさらいを兼ねて 2008年1月12日、「千葉市の遺跡を歩く会」主催で大森貝塚を歩きます。今から楽しみですね。