1月27日、本年2回目のワークショップは、金子浩昌先生をお迎えして@真福寺貝塚・泥炭層遺跡を歩くA岩槻郷土資料館にて開催中の特別展「さいたま市内の貝塚−土に生まれた海の記憶−」見学などを中心に開かれました。
10時に東浦和駅に集合した私たち参加者は4台の車に分乗し、最初に金子先生にみていただこうと馬場小室山遺跡に向かいました。
何度も訪れた遺跡ですが、夏草が茂った季節とはおもむきが異なり、盛土の高まりがよくわかります。
背景の住宅地も遺跡の一部であることもあらためて思い起こされます。
金子先生も熱心に遺跡をご覧になっておられます。
次に向かったのは南方遺跡(緑区大門)、縄文時代中期〜後晩期の遺跡です。
土地区画整理事業で、数次の発掘調査が行われているようで、いずれは住宅建設予定地となるのではないかと思うのですが、谷をはさんで遺跡が向かい合っています。
縄文土器片が散見されます。
岩槻区にある黒谷貝塚近くまで行きましたが、工事中で断念、そのまま岩槻区岩槻郷土資料館に向かいました。
駐車場に車を停めてから、見学の前に近くの「蔵のパン屋Kuu」というお店でまず昼食をとることにしました。
岩槻区のにお住まいのNさんお勧めのお店です。今年の干支、ネズミの形のパンが食卓に並べられて皆さんの顔がほころびました。
午後からの遺跡探訪で最初に向かったのは花積下層式土器(縄文時代前期初頭)で著名な花積貝塚です。ここは大宮台地の慈恩寺支台に位置します。
標識土器がないかと探したり、耕作地になっている低地に降りて花積貝塚の立地・景観を望みます。遺跡は赤い屋根の奥にあるのです。
真福寺貝塚(国指定史跡)に着きました。大山史前学研究所が泥炭層を発掘したのが調査の始まりだとのことですが、看板のところから左(西側)には、緩やかに傾斜している耕作地に貝が見えまていました。
ここが貝塚のブロックにあたるようです。
そのまま歩を進めると泥炭層にぶつかります。
この泥炭層には縄文人の多くの生活址がのこされていたことが発掘成果から知らされます。
夏草の生い茂る季節ではなく、草が枯れたこの季節だからこそ起伏に富んだ遺跡の状態がよくわかってきます。ただし寒かった!
昭和15年(1940年)、東京大学人類学教室の調査で見つかった「第二地点第一号住居址」(切りあった住居が発見されました)はどこだろう? 現在は住宅地、図面上では三叉路の道路になっているのでどうもこのあたりらしい・・・鈴木正博さんから配布していただいた資料を片手に散策です。
足早に真福寺貝塚の見学を終了、閉館時間が近づいていますので急いで岩槻郷土資料館に戻ります。
資料館でお待ちいただいていた金子先生からお話をうかがいました。