2008.3.8
By さわらびY(ゆみ)
39 春うららの馬場小室山遺跡、 その周辺と遺跡のその後をさぐる・・
春うららの馬場小室山遺跡、でも?・・・
明日は桃の節句という3月2日の10時、三室公民館に集合しました。
縄文晩期の終焉とともに集落が消えてしまった馬場小室山遺跡。 午前中はその周辺を歩いて、その後の「見沼文化」=弥生の環濠集落の展開とその景観を探ってみることにしました。
広大な見沼田圃を見下ろす台地の起伏ある地形を歩くと、そこは意外に発見がいっぱいの世界。
遺跡地図と明治初期の迅速測図の地図を片手に、春の田園風景と、新しい街の景観をたどりながら、開発で明らかになった各遺跡とその立地を確認しました。
さてまずは、馬場小室山の史跡指定地区の憂うべき現状を、お知らせします。
三室公民館・文殊寺の前の谷津田だった低地は、
現在区画整理で盛り土の真っ最中。
また、三室の景観が一つ変貌してしまうことでしょう。
現在の馬場小室山遺跡西側の姿 この分譲住宅の敷地内には土器の欠片がフェンス越しに見えました。 右↑写真は遺跡破壊中の2004.11.23の様子
3月の小室山は、下草が刈られて見通しもよく、地形を観察しやすいのですが・・・ついでにごみもよく目立ちます。
見上げると、大木の折れた枝が今にも落ちてきそう! 東側の家は相変わらず、史跡である市有地を物置場にしている!
いつになったら、馬場小室山の「史跡」指定地が市民のための憩いと学習の場になるのでしょう
馬場小室山遺跡周辺のフィールドワーク
さて、馬場小室山の周りには、どんな遺跡と、また太古からの景観があるのでしょう。
遺跡の北側の馬場北遺跡を訪ねました。 ⇒「2 馬場小室山遺跡のあるところ」
ここは、弥生後期の環濠集落が発見された場所で、眼下に見沼をみる景色のよいところです。
また、そこから見沼南岸に沿って西へ行った所、市立病院の建設で明らかになった北宿遺跡も弥生後期の遺跡だそうです。⇒「37 第31回ワークショップ・・」
弥生後期の環濠集落・馬場北遺跡のがあった場所
フェンス越しに、見沼の低地が一望できます
東宿遺跡 神明社のある高台からは、縄文早期(左側=撚糸文)・前期(右側)などの土器片↑が見られました。
東宿の低地から馬場小室山遺跡を望む 「春の小川はさらさらいくよ〜」
太古の人々の生活に欠かせなかった自然の湧水が今も流れています
午後は三室公民館で、「非日常の世界―縄文時代の鳥獣爬虫類等遺物からみた動物アニミズム(八百万の神)―」と『弥生時代の「見沼文化」概観について』の学習しました。
学習の内容などについては、当日配布のレジュメをご覧ください。
そして、今回の実踏であきらかになった史跡指定地内の憂うべき現状を踏まえて、例年恒例になった5/4「クリーンアップ大作戦」の具体的な企画プランなどの話し合いを行いました。