2008.10.23up By.ゆみ(Y)

2008.10.19  主催:「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」実行委員会 

44 第5回馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム
−見沼のめぐみと交流−


T フォーラム AM 編

 2004年10月、馬場小室山遺跡の西側半分が十分な調査がなされず、住宅開発されて4年目の秋を迎えました。
 この間、馬場小室山遺跡研究会の40回のワークショップ、そして4回の市民フォーラムが行われ、縄文考古学研究者のみならず、考古学を愛する多くの市民や地元の皆様方に、馬場小室山遺跡の重要性やパブリックアーケオロジーのもつ意味についてご理解いただき、その活動もすっかり地域の文化活動として定着してきました。

 今回のフォーラムのテーマは、「見沼のめぐみと交流」
 はるか縄文のころ、見沼に暮らした人々の海との交流、祭りに集うムラの再現、その服飾グッズの探究を試みながら、今、遺跡にむすばれて集う私たちも、それぞれの持つ学術・芸術の個性とタレントを生かし、新しい交流の場=カルチュア・フェスティバルの創出を目指しました。

 さて、毎回、蓋を開けてみてビックリ!の「ばんばおむろやま市民フォーラム」。今年はいったい何が飛び出すのでしょう。

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☆ 序章


期待と緊張の中
「プラザイースト」3階会場への運びこみ作業が始まりました。




大きな段ボールから新しいジオラマが顔を出しました。
 ちっちゃなフィギュアのように、私たちの祭りも、よーい!スタート!


    
新しいマスコットキャラクター「オムさま」の入ったパンフが、来場者を歓迎。 さあ、フォーラム開始時刻になりますよ。



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☆ 実行委員長 大田尭先生のごあいさつ


飯塚さんの司会でフォーラム開始
北海道で研究中の仲間からの祝電も披露。




実行委員長の大田堯先生の開会挨拶

大田堯先生(東京大学名誉教授、元都留文科大学学長) 



   大田尭先生のメッセージ

 新たな感動をもたらしてくれした大田尭先生のご挨拶は、遺跡のみならず地球の未来を見据えた自然讃歌を高らかに謳いあげてくださいました。その要旨をご紹介します。

 「この市民フォーラムも5回を迎えることになりました。
 金融不安、政局不安定の今日、日本だけではなく、戦争も貧困もあるという地球の状況の中で、知的好奇心を満たす小さな集まりが開かれようとしています。
 この小さなフォーラムの持っている意味というものは、非常に重要です。
 私どもがこうやって集まっている市民の集まり、これが実は社会的胎盤といってもいいほど、生活の基礎にある人間関係から目指しているところなんです。
 小さな集まりですが、社会のいわば一番基本にある人間関係、市民とのつながりがしっかりしているかどうかというところが、我々の未来をつないでいくための非常に重要なことだと思います。
 このフォーラムは、そうした未来を展望しながら、市民の連帯、バラバラになった社会で市民のつながりあう会を一つでも多く持つということの値打ちはかけがえのないものです。

 馬場小室山遺跡の将来につきまして、見沼歴史博物館として発展させたいという大きな構想があるとうかがっています。 
 これは非常に興味ある構想でありまして、私が30年前に都留文科大学という大学の学長に就任しましたときに、都留市全体を自然博物館にするというそういう構想を議会に出向きまして説明申し上げたことがあります。
 つまり自然の全体を博物館に、大学の研究室を中心に市民と一緒に都留市の自然を守る、そういう運動には30年の蓄積を持っているのであります。

 見沼というところは、自然と歴史に実に豊かに恵まれた地域でありまして、見沼全体の自然、見沼全体の歴史というものをつつんだ博物館、見沼の地を守るという構想にこのフォーラムが発展しますと、地球温暖化の今日グローバルな意味でも非常に大きな意味を発揮するものと考える次第でございます。

 小さな集まりだけど、こういうところから積み重ねていって大きな歴史を開く端緒となることは、私どもの誇りであると同時に、やりがいある仕事だと考えています。」


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☆ 基調講演 「縄文時代の貝輪と馬場小室山遺跡〜実験考古学と縄文の身体装飾〜」

 阿部 芳郎氏 (明治大学文学部教授・副実行委員長)
  
 「貝輪は何に使われたか。どこで、どのように作られたのか。その道具は?」

 阿部先生から、貝輪の原材料ベンケイガイとその半製品や道具の砥石がたくさん出土した銚子の余山貝塚、その出土状況から製作工程と流通過程など、わかりやすくお話しいただきました。

 さらに貝輪の研磨に使ったとみられるでこぼこの溝のついた「異形砥石」が、内陸のさいたま市東北原遺跡から検出されたことが何を示すのか、また、「土製耳飾り」については、安行式期にたくさん、また種類も多く検出されることなど、興味深いお話でした。

 縄文後晩期の馬場小室山の「ムロ」さまの姿が彷彿してきますね。

阿部先生には、貝輪の簡単、上手な作り方も教えていただきました。

  

右は阿部先生の作られた貝輪2点。 5ミリの細さにするには、6時間も研磨されたそうです。

   
11時から展示室となりに、阿部先生直伝の貝輪製作の工房を開設。初めての方でも失敗が少なく上手にできました。

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