2009.5.6
By さわらびY(ゆみ)
45 2009年5月「馬場小室山遺跡に集う見沼文化フォーラム」への始動!
遺跡に集い「見沼文化復活祭」&「感謝祭」
今年も緑の日恒例の市民イベントが、新緑の馬場小室山遺跡を中心に行われました。
2005年の3月に住民の皆さんにも呼び掛けて行われた馬場小室山クリーンアップ大作戦。
その春は5月4日に遺跡と自然観察会も開き、好評でした。
以来5月4日に、馬場小室山クリーンアップ大作戦を中心に、毎回テーマを変えて様々な体験型の文化活動を展開してきました。
まずは、歩いて知る
「昔、見沼が海だったころ」
今年のテーマは、「見沼が海だったころ」。
春にも真夏日になる内陸性気候のさいたま市の姿から考えられないことですが、馬場小室山遺跡の発掘調査で、海の貝ばかりの小さな貝塚が見つかっています。
地球が温暖だった縄文海進のころの地形や自然、人の営みを、遺跡の周りを歩いて、遺物に触れて、また第一線の考古学の話を聞いて、見沼の文化を理解しようという試みです。
文化遺産から自然環境を考える「馬場小室山遺跡に集う見沼文化フォーラム」への成長を期して、今回も、初めて参加された方々には遺跡の重要性を体験で知っていただき、また午後からのワークショップを含め、活動当初から参加している研究者にも新しい知見に触れながら、新鮮な感動を共有する楽しい一日となりました。
9時にバス停「三室中学校」前に集合。
清水さいたま市長候補・高柳さいたま市議の姿も。
馬場小室山遺跡の起伏のある地形を歩きます
「三室中学校の低くなっている校庭が縄文早期、東京湾に続く入り江でした」
もうすぐ海が見えるって?!
坂を登り、馬場北遺跡の断崖絶壁の上に着くと・・
見沼代用水西縁の桜が新緑の葉を茂らせていますが、その先に縄文早期まだ海だった見沼が広がっています。
見沼は、江戸時代に大がかりな干拓がおこなわれ、一面見沼田んぼでした。
農業の衰退で、昭和40年の「見沼三原則」は廃止されましたが、同時に施行された新たな「新基本方針」によって、今も緑地としての保全は守られている(?)とのこと。
低地の先の対岸には、縄文早期の土器の出た篠山遺跡と八雲貝塚がある片柳の台地がうっすら見えます。
馬場折返し場バス停に向かう道を、アメーバー状(三つ柏状?)の入り江が見沼に通じる水路だった低地へ下っていきます。
ここが、三室中学低地の奥からの水路の出口。現在は暗渠になっています。
縄文海進のころ、海面はいまより5m高く、舟が行き来できました。
海の干満の差は2mもあり、その満ち引きに乗ると、ここから東京湾まで、丸木舟でも往復が可能でした。
↑ 三室小学校北側の東宿の田園地域を歩きました。 低地の向こうに馬場小室山遺跡の林が望めます。 ↑
ここは区画整理外のため、かつての低地と台地、斜面林など地形と自然まだ残っています。
縄文人が生活をしたのは、低地を望む台地の縁でした。台地の急斜面には生活上必須の湧水がわき出ていたからです。
その湧水を探しに行きましょう。
今年も涸れずに湧水が流れていました。「あっ!ザリガニ」
水辺に通う古道を登ると文殊寺へ
文殊寺の隣の三室公民館で休憩。歩いた道の復習も。
馬場小室山遺跡に感謝し、クリーンナップ大作戦11時から馬場小室山遺跡につどい、遺跡に感謝するクリーンナップ大作戦と青空考古学教室が開かれました。
遺跡はさいたま市の史跡になりましたが、環境整備はまだ。
今日は立ち入りの許可をもらって遺跡に入り、不法に投棄されたゴミを拾いながら、縄文時代の集落が営まれた環状盛土遺構の貴重な地形を体験しました。
さいたま市の史跡になった馬場小室山遺跡。ご近所から、また遠くから大勢集まってきます。
遺跡のマップを見ながら、今いる場所や遺構を確認しましょう。
軍手・ビニール袋を持ってね。
森は子供たちにとっては、自然の宝庫! 冒険と発見の連続です。
ゴミの片付けも最後までがんばります。
三室中学側の北斜面。 一号土塚の眠る包蔵地で、遺物も見つかる所です。
青空考古学教室で知る海の恵み
遺跡の一角にブルーシートを広げて、考古学の実物に触れる青空考古学教室。
子供も大人も楽しみにしているコーナーです。
貝塚に多く見られるハイガイなどから、当時の環境を考えました。
実物を使っての貝の種類の説明は、斎藤弘道先生。 馬場小室山遺跡でも、このような海の貝の貝塚が見つかっています。 |
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オキシジミ・アサリ・ハマグリ・サルボウ・ハイガイ・カガミガイ・マガキ・シオフキ いろいろな貝があるね。 |
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この貝輪、本当に腕に通るかな。 |
馬場小室山の畑の脇にたくさん捨てられていた土器です |
今年もまた、大人も子供も楽しませていただきました。 ありがとう、馬場小室山遺跡! |
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午後3時から三室公民館で馬場小室山遺跡研究会のワークショップ。 茅山式を中心にその細分と、茅山式の次に展開する早期終末の東海系の型式 など、縄文早期の土器についての最新情報を学びました。 また、今後の活動の目的とテーマを巡っての提案がなされました。⇒レジュメ |