2004.10.23 By.ゆみ
「プロジェクトZ」始動!2004.10.23
7 馬場小室山からのメッセージU
10月16日とうとう遺跡に重機が入りました。私は、耕作で摩滅し小さなかけらとなった畑の土器片しか手にしたことがなかったので、今割れたばかりというような土器片にとても感動しました。
翌週の10月23日、「この段階でも私達にできることは」という思いで現場を訪ねたところ、やはり鈴木正博先生ほか何人かの方がそれぞれの思いで、この現場に立っていらっしゃいます。
現場に重機の入った段階で鈴木先生が呼びかけられたのが、「プロジェクトZ」(ABCの最後のZ)、名付けて「インディー・ジョーンズ最後の聖跡作戦」というのだそうです。
これは『現場で「残存埋蔵文化財」を監視し、重機作業の結果である「有形文化財」を発見し、「発見の届出」により文化財保護法の適用を促す最後の局面で、考古学者の最後の手段』ということ。
朝な夕なの現場の監視。
20日に台風23号が大雨を降らせた翌日は、口縁部にりっぱな装飾が施された縄文時代中期の土器片が発見され、直ちに「発見の届出」が出されました。
続けて21日早朝も、縄文時代後晩期の大形土器片と石器を保護、追加の「発見の届出」となりました。
23日は、工事も静かでしたので、午後2時ごろから30分ぐらい、数名で土器を探しました。
現場は大雨が続いた上、重機が入って土をかき回したので、足元は泥んこ。
土器も見えづらく、土の固まりかと思って手で押すと固い手ごたえがあり、泥の塊の中から富士山のような突起のついた土器の口の部分や、きれいな文様の大きな土器片も出てきます。
南西部の盛土付近
このあたりの包含層の保全が最大の課題
台風の後、泥んこの現場で遺物を「救出」
スーパーのレジ袋はすぐいっぱいに
ていねいに探せばいくらでも見つかるのでしょうが、とりあえず「保護」ということで、拾った土器や石器を集めて観察することになりました。
昨日と一昨日に先生ご夫妻で拾われた遺物も含め、小室神社の神様にお供えするように、鳥居前の路地いっぱい広げます。
「これは、中期の○○式」とか、「これは安行(あんぎょう)より後の珍しい晩期後葉の口縁部」とか専門用語が飛び交います。
先生の奥様も、ご一緒の方々も考古学の研究者のご様子。
製塩土器の特徴などもご教授いただき、路上のにわか縄文土器教室となりました。
小室神社の参道入り口の路上で、遺物を観察 左手の塊が23日、右側が22日、 右手前の3点が21日の発見分 |
21日の「発見の届出」の証拠となった中期の土器片 口縁部の紋様が美しい |
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22日発見の遺物 手前は石器、その奥は炭化物の詰まった土器底部 |
23日私たちが集めた土器片の山 |
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縄文中期から晩期後葉までさまざまな形の土器口縁部 |
これは晩期後葉(千網式?のころ)の珍しい土器らしい |
薄手で簡素なこの土器は製塩用の使い捨ての土器 |
こんなにさまざまな用途や特徴ある紋様の土器片、中期から晩期後葉までの約四千年間の生活の営みが、その後の二十世紀間の眠りから醒めて私たちの目の前にあります。
でもそれは、重機によって暴力的に暴かれた結果としてあるのです。
わずか数人で、それも足元の悪い中、短時間に集めた土器片。まだマウンドの形をとどめている南西部の盛土遺構の中にはどのくらいの量の遺物があるのでしょう。
縄文のタイムカプセルを、ブルドーザーで跡形もなくしてしまうという行為が、六千年の歴史のなかの、たった数日間で行われる現実の前に私たちは立たされているのです。
そのとき、縄文人からのメッセージは、永遠に受け取り手のないメッセージとなってしまうことでしょう。