2010.5.6
By さわらびY(ゆみ

50 馬場小室山遺跡はフィールド・ミュージアム
遺跡クリーンアップ大作戦青空考古学教室氷川女体神社祇園磐船竜神祭堪能の一日

T パブリックアーケオロジー実践「見沼文化感謝祭」

 5月4日(みどりの日)、今年も恒例の遺跡クリーンアップ大作戦と青空考古学教室が新緑の馬場小室山遺跡で開かれました。

 集合場所の三室中学正門前に集まったのは、ご近所のリピーター、遠くからの方や、初めて参加の親子連れなど。
 遺跡に感謝する今回で6回目のこの催し、地域の行事としてもすっかり定着、夏を思わせる晴天の中で、地形や自然、考古学を体感で学びました。

  
                                     (右上↑ 遺跡の北側の道路から1号土塚の斜面を見ています)

事務局長が皆さんを出迎え、鈴木正博さんの案内で、広い遺跡(すでに調査され住宅になっている地点やさいたま市と市民の活動で、さいたま市の「史跡」として残された市有地)を見て回りました。

   
三室中学側から、遺跡の中へ。 足元に気をつけてね。
   
 縄文人が長く住み、そして立ち去ったままの姿の貴重な遺跡についての説明と、けがのないようお掃除の仕方の注意点を、一同、聴き入っています。

 遺跡には、事前に立ち入りの許可をもらって入りました。しかし、中央窪地の竹やぶはテープが張られてはいることができません。
 4月4日の明大博物館友の会の見学会のときもそうでしたが、切り倒された竹が山と積まれてあり、足元が危ないからとか。
 
 私たちの数回のクリーンアップ行動で、空き瓶や缶、ポリ袋、ボロ自転車などのゴミは以前より特段に減りました。
 しかし、市民の手でも撤去不可能な古タイヤや脚立などは、以前のまま放置されています。

 さいたま市の市有地である史跡の活用を、市はどう考えているのでしょう。
 マナー違反の不法投棄や、無断で植生を荒らす行為などから、史跡を守るため、立ち入りを禁止しているのでしょうか。
 市は、史跡への理解を深め自然を守るための市民の行動を、むしろ促すべきだと思いますが・・・


  

馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム実行委員長の大田堯先生がお元気な姿で見えられました。
「この花の名は、何でしょうか」 
「図鑑で調べましたら、ジュウニヒトエ(十二単)というのだそうです」

子供にとっても大人にも、まさしく大田先生の提唱された「見沼フィールド・ミュージアム」構想の実践の場となりました。

  

 「見沼フィールド・ミュージアム」とは、建物の中の展示物を見るのではなく、地域に点在する自然、歴史文化、産業などを活用し、地域全体をミュージアム(博物館)する構想。
 「フィールドは箱ではない。人間関係も自然とのかかわりも密度の濃いもの、最終的に自分を知る場の一つとなる」と言われる大田先生の描くフィールド・ミュージアムの姿がここにありました。



U 青空考古学教室 テーマは「非日常活動に用いられた不思議な遺物!

遺跡のお掃除が終わって、おなじみの青空考古学教室。
今回のテーマは「非日常活動に用いられた遺物」です。
土偶や土版、耳飾りなど、マツリやマジナイ、飾りに使ったらしい各地の不思議な遺物が大集合しました。

   
 

土偶の研究者、矢花さんが解説
「土で造った人形を土偶と言います。お腹とおっぱいが出た妊婦の姿が多いのは、安産のためにお祈りしたのでしょう」


  

手に取っているのは、小さな山形土偶、「耳には耳飾りのあらわす穴が開いています」
土がはがれてしまっていますが、おなかが出っ張っていました。

                            右側のは土版ですが、人の顔と胸らしき出っ張りがあるのは、珍しいようです。


  

これは、馬場小室山遺跡(廃土投棄された第二遺跡)から出土した土版と、耳飾り(右側)の一部です。
発見したNさんのお宝です。


  
土版の説明は、齋藤弘道先生。「博物館じゃ、触れられないけれど、手に持ってみてごらん」



                       
V 氷川女体神社「祇園磐船竜神祭」を拝観に 

午後から、参加者のうち、民俗と郷土史に興味のあるメンバーで、歩いて氷川女体神社へ「祇園磐船竜神祭」を拝観に行きました。 

 武蔵国一の宮の氷川女体神社では、古来より神輿を舟に載せ、見沼の湖に繰り出して4本の竹を湖中に挿し結界して行っていた御舟祭を、18世紀からは、新田開発の見沼埋立により、池に築いた柄鏡型の小さな島の斎庭にその場を遷し、磐船祭として行われていました。
 江戸時代の終わりとともにその祭儀も廃止されましたが、その祭りを、現在に復活させたのがこの祇園磐船竜神祭です。

 見沼の自然地形の変遷史や竜伝説を伝え、宗教民俗学、中世史、神道考古学を考察するうえでも、知っておきたい重要な祭事。
 最近は、「さいたま竜神まつり会」の方々の活動で毎年盛り上がっています。


  
 氷川女體神社磐船祭祭祀遺跡 さいたま市の指定史跡です。
   
2005年 祇園祭と竜神祭とが磐船祭に合わさって、5月4日に行われるようになって、はや5年。
馬場小室山遺跡の活動と時を同じくして、すっかり、地域のイベントとして定着してきました。

神官の古式の平安装束姿、そしてかわいく美しい巫女姿が、拝観者やカメラマンの目を惹きつけます。
  

 
巫女舞の奉奏です。今年の「豊栄の舞」は4名でチャレンジ。

 

見沼通船堀の船頭舟唄と竜神太鼓の奉奏の後、玉串奉奠の祭儀が続きます



W ぼたん寺「総持院」にちょっと寄り道

三室公民館へ戻る途中、「総持院の牡丹が満開なので、見に行きましょう」と車でご案内いただき、ちょっと寄り道。
見沼の東縁にある真言宗智山派の寺院です。
  
                                右は、牡丹の花越しに見る新緑の見沼田んぼ




X 第46回ワークショップは「土偶談話会」

 土偶と人面文(もん)について考えるパブリック・アーケオロジーの糸口として、午後3時半から三室公民館で「土偶談話会」を行なわれ、矢花由希子さんに「土偶研究の面白さ」、鈴木正博さんに「こんな土偶ってあり?」というテーマでお話しいただきました。

矢花さんには、「土偶は出産に関係するのが原点。日本列島にはいろいろな土偶があって、なおかつ出るところと出ないところがあるのはどうしてだろう。土器に付いている『顔』は何だろう」など謎の多い土偶の不思議さについて語っていただきました。

鈴木正博さんのお話は、「土偶の頭や額に稀に貫通孔があります。吊してどうするのでしょうか?」という謎とき。
「マリオネットのように動かしながら、伝承や物語の人形劇がされていたと想像すると面白い」とのこと。




関連ページへリンク
「さわらび通信」
  2005.3.27 馬場小室山クリーンアップ & 廃土中の遺物救出大作戦
  2005.5.4 五月、新緑の「史跡・馬場小室山」のなかで  
  2006.5.4 地域とともに・パブリックアーケオロジーG.Wの一日
  2007.5.4 遺跡に感謝して・・第3回クリーンアップ大作戦 
    「史跡歳時記」より「よみがえる里山・馬場小室山遺跡の植物歳時記」No.1  No.2
     氷川女体神社の祇園磐船竜神祭 No.1  NO.2
  2008.5.4 花と緑に包まれて・・馬場小室山とその周辺の遺跡を体感
  2009.5.4 「馬場小室山遺跡に集う見沼文化フォーラム」への始動!

ブログ「エドルネ日記」
  見沼文化を体感!馬場小室山遺跡と氷川女体神社の「祇園磐船竜神祭」を見てきました。その1  
   見沼文化を体感!馬場小室山遺跡と氷川女体神社の「祇園磐船竜神祭」を見てきました。その2


大田堯先生の「見沼フィールド・ミュージアム構想」について
  48 「見沼フィールド・ミュージアム構想」にこたえて

上記でご紹介した 『地域交流センター通信』をPFDファイルでご覧いただけます。
 Vol.16のP2から 大田尭先生の「見沼フィールド・ミュージアムを呼びかける(前編)
      P16に 鈴木正博氏の「見沼への想い-馬場小室山遺跡との出会いから-」
 Vol.17のP24から 大田尭先生の「見沼フィールド・ミュージアムを呼びかける(後編)
      P37の左下に Vol.16の鈴木氏の記事の編集方のミスによる[お詫び・訂正]が掲載されています。