2011.5.12UP
By さわらびY(ゆみ

52 「見沼文化」2011鎮魂祭
5/4 新緑の中、馬場小室山遺跡とその水辺を探る

T 3.11東日本大震災後の厳しい現状の中で

 2005年3月、2006年からは毎年5月4日に行ってきた馬場小室山遺跡のクリーンアップ大作戦と好評な青空考古学教室。

 2011年のこの日も当初、ご近所にお住まいの方や子供たちに幅広く参加を呼びかけ、「見沼文化」2011感謝祭として、にぎやかに行う予定でした。

 今回は、3月11日の大地震と大津波、そして原発事故という事態を重く受け止め、イベント名を「見沼文化」2011鎮魂祭としました。
 また余震の危険も考慮して、呼びかけは個別に責任を持てる範囲にとどめ、事務局と関係者中心に行うことにしました。

   
      5月4日10時半、三室中学校まえには、いつもの精鋭メンバーに加え、初めての方も集まってきました。  ↑


   

新緑の馬場小室山遺跡での清掃活動

       
 ↑2011年5月4日の遺跡の東側斜面(1号土塚)             2005年3月27日の同じ場所(粗大ごみがいっぱい!)↑


 数年間の私たちの清掃活動や行政の指導などで、以前より、格段にきれいになってきています。

 ショカツソウ(ハナダイコン)やジュウニヒトエの群落が、この頃の遺跡を彩るのも、すっかり定番になりました。


        


 西側に造成された住宅地沿いからは、ゴミに交じって土器片が、今も見つかります。

                    

          ↑ 縄文晩期の粗製土器でしょうか。                 「このような形をした深鉢だったと思います」


U 青空考古学教室 テーマは「縄文時代の大災害

 2011.3.11の東日本大震災は、貞観11年(869)の陸奥国府を襲った貞観地震以来の甚大な津波被害をもたらしました。
 この貞観地震の5年前には日本の歴史記録上、最大の富士山大爆発である貞観大噴火がありました。

 また有史以前においても、日本列島の文化史に大きな影響を与えた火山活動が、考古学・地学の研究成果で明らかにされています。
 特に、約6400年前に鹿児島県南方の硫黄島(鬼界島)の大爆発は鬼界カルデラを形成、その火山灰「アカホヤ」は西日本全体はもちろん、東日本の一部にまで降り注ぎました。
 
 その頃、西日本に居住していた縄文人の生活に大打撃を与えたと考えられ、このアカホヤ火山灰層は、縄文時代の早期と前期とを分ける重要な地層になっているとのことです。

    
参考サイトへリンク⇒1999「縄文への旅−鹿児島と種子島の先史時代文化を訪ねて」

 この日は、清掃作業の後、「縄文時代の大災害」と題して、齋藤弘道先生の指導で恒例の青空考古学教室が開かれました。

 縄文早期の終わりに南九州を中心に栄え、北上しつつあった平栫式や賽ノ神(せのかん)式土器の優れた文化は、鬼界カルデラ大爆発で壊滅しました。 関東では早期末葉の打越(おっこし)式の後、前期初頭の花積下層式土器の直前の頃です。
 しかし、降灰も落ち着いたその数百年後、南九州から北上して北九州〜瀬戸内海西部に伝播して形成されたとされる轟式・曽畑式土器が南下し、縄文前期の新しい文化が広がっていきます。

 大きな災害が、人々の暮らしに影響し、新しい文化とその時代を生み出す、という不屈でダイナミックな人類の歴史が縄文土器の動きでわかるということに、考古学の面白さが堪能できました。


 緑陰での青空考古学教室

V 馬場小室山遺跡の水辺に目を向けるフィールドワーク

 馬場小室山遺跡研究会の研究成果として、井山紘文さん制作のジオラマや馬場小室山遺跡の想像図がわかりやすく好評です。
 
 特に注目されるのが右の想像図に描かれている水辺の景観です。

 この光景を現在の景観の中に探してみようとという試みが、この日の午後に行われました。


 生命活動に必須の水源や、異文化交流の道となる水路を考える上で、水辺の存在は重要です。
 その景観を、今の遺跡の周辺に見られるのでしょうか。

 馬場小室山周辺もここ数年間に区画整理で低地に埋立られたり、畑や藪が住宅になったりして、大きく景観が変わりつつあります。
 また、飯塚事務局長の情報では、畑の中の「民有水路の整備」計画も予定されているそうです。

 さあ、遺跡の周辺を歩いて、「縄文のせせらぎ」を探してみましょう。

         

「榛名さま」の祠↑の横を通って、遺跡の西側の低地を望む場所へ。農村の風景の先に馬場小室山の森が見えます。
       

低地の畑を流れる水路。
千数百年前の弥生時代からつい最近まで水田を潤す大事な用水でした。
そして、数千年〜二千年前の馬場小室山遺跡のムラの生活を支えた水源でもありました。
その「縄文のせせらぎ」を彷彿させる今も貴重な景観です。
      

みずみずしいセリが育つ清流。
この民有の水路ももうすぐ、さいたま市の水路用地となって整備工事が始まります。
周辺の道路拡幅工事と共に、暗渠やU字溝となって、姿を消してしまうのだそうです。

       
見沼にむかって三つの谷津が一つになって流れ出る水路、その本流を下に望む神明宮の高台に登りました。
前にも撚糸文の土器片を拾いましたが、今回は二つの縄文土器片や中近世の陶器片、和釘・角鎹などが採集できました。
左は、縄文に突起のある縄文晩期とみられる土器片、右は縄文前期とみられる土器片で条線の文様があります。
岬状の見晴らしのよいこの地は、太古の昔からの神祭りをする場だったのでしょうか。

W これからの活動に向けて
 
 フィールドワークの後、三室公民館に戻って、レジュメを参考に、第49回ワークショップを行いました。
 
5月29日に行われる日本考古学協会でのポスター発表、国立科学博物館の「夏休みサイエンススクェア」での体験コーナー出展に向けての準備や、パブリック・アーケオロジーの将来について話し合いました。⇒今後の予定
 
 その中で、とび出したのが、「馬場小室山遺跡トランクミュージアム」構想! 
 機会があるごとに展示しているジオラマや馬場小室山遺跡で保護した遺物や資料などをパッケージした馬場小室山遺跡の移動博物館のイメージは?・・・屋台型? それとも寅さんのトランク型?
 箱ものでない新しい博物館を追求する最前線のミュージアム構想は、市民による市民のための博物館としていま産声を上げようとしています。