2012.5.4  UP 5.9
By さわらびY(ゆみ

57 GWの不安定な天候に臨機応変、「南鴻沼遺跡」速報展と井沼方遺跡を探訪

2012年5月4日 馬場小室山遺跡クリーンアップは中止し、午前は「南鴻沼遺跡」展へ

 前日の天気予報は晴でしたが、東浦和の駅に着くとあいにくの雨。
 毎年恒例の「馬場小室山遺跡クリーンアップ大作戦&青空考古学教室」は中止、6名の地元スタッフは、事情説明に一応集合場所へ。

 三室小学校のチラシを見て参加した6年生男子2名ほか計6名を対象に、遺跡の現地説明会を実施しました。

9:30 東浦和駅の見沼の竜神像も雨に濡れて・・・

 みなさん、馬場小室山遺跡の説明を受けたのは初めてでしたので、 緑区にこのような凄い遺跡が史跡となっていることに感激された様子だったそうです。

 「雨の中を子供たちが自主的に参加されたこと、その子供たちと話してみると とても聡明そうな頼もしい子供たちであったことも驚きでした。」とのこと。

 帰り際に事務局は、簡単に清掃活動を行いました。

 一方、私たち東浦和駅に集まった遠方組10名は、臨機応変、前日から始まった『南鴻沼遺跡』速報展を見学に、与野文化財資料室へ行くことにしました。
 鴻沼は縄文時代、見沼のような大きな入り江で、大戸貝塚、円阿弥貝塚があります。

 南鴻沼遺跡(さいたま市中央区大戸1丁目)は、台地際に沿った低湿地の遺跡で、昨年秋から現在も調査中の発掘現場では、、縄文時代中期後半から後期初頭の「水場遺構」が二つ見つかったとのこと。

 速報展では、木の実、漆製品・木製品・土器などの遺物や、板材や杭材で造られた木組状の遺構などの写真が展示されているとのことでした。


画像⇒さいたま市HP「『南鴻沼遺跡』速報展を開催しています」へ



霧敷橋から 鴻沼排水路の鴻沼川をみる 
バラは旧与野市の「市民の花」 



JR与野本町駅を降りると雨は止んでいました。
駅からすぐそば、与野文化財資料室での「南鴻沼遺跡」展へ


漆器の破片、未完成の木製品の実物や
船のオールらしき木片の写真などがありました

 出土した縄文中期のユニークな土器

三室公民館で 午後からのワークショップ
 さいたま市では3月28日付けで、「馬場小室山遺跡第51号土壙出土縄文土器」を有形文化財に、遺跡に隣接した小室社のタブノキを記念物に新たに指定したとのことです。

      
馬場小室山遺跡第51号土壙出土縄文土器について⇒画像集
        タブノキについて⇒「10 小室山に秘められた遺構の謎」


 公民館へ行く途中、小室社のタブの木を改めて見てみました。    
    
左:市の記念物になったタブノキは、ちょこんと高く頭を出しています。                                          
                             中央:小室社参道からもよく見えます   右:神社境内からだと高すぎて幹しか見えません


 
  
三室公民館にて 
「51号土坑の人面付土器の顔かたちの由来は?」


「井山まりさん制作中のキャラクター3作目の案」をご披露
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「弥生の環濠集落、井沼方遺跡から奥東京湾をながめよう」のお散歩へ
 井沼方遺跡は、縄文〜弥生〜古墳時代の遺跡です。
 弥生後期の環濠集落跡で、環濠の北側からは方形周溝墓群が見つかり、大型の第9号方形周溝墓の主体部からは、鉄剣・ガラス玉が発見され、市指定文化財になっています。

 馬場小室山遺跡でも弥生時代の遺跡が見つかっており、今年(2012年)の5月27日日本考古学協会研究発表会では、馬場小室山遺跡研究会として 「馬場小室山遺蹟の弥生時代土器から観た「見沼文化」−【見沼シャモット弥生】研究の意義−」の口頭発表を予定しています。

    
馬場小室山遺跡の弥生土器画像 ⇒☆さいたま市の弥生土器-6=馬場小室山遺跡
     井沼方遺跡の弥生土器画像 ⇒ ☆さいたま市の弥生土器-4=井沼方遺跡


 井沼方遺跡へは、東浦和駅から南西の南浦和駅方向へ武蔵野線沿いに歩いていきました。

    
樹状の舌状台地を横切って走る武蔵野線路。  急な坂を下りると低地の井沼方公園へ。  公園の中に小川が流れています。
馬場小室山の南方、大間木の谷津から湧水は、かつてここまできて、奥東京湾へと流れ込んでいたのでしょう。

         
また坂を登ります。    この台地の上が、区画整理で調査された井沼方遺跡。
跨線橋の左側(南側)が環濠のある弥生の集落跡。右奥(北西)が方形周溝墓の検出地です。

    
井沼方遺跡の一部は、馬堤公園として保存されています。


       
公園に隣接して明神社・稲荷社・神明社を合祀した神社があります。
境内に置かれた青面金剛像を浮き彫りした庚申塔には
「足立郡井沼形村講中/宝暦七年(1757)丑二月吉日」の銘が刻まれています


       
公園横の道路際の空き地には、まだ土器の破片が散らばっています。


井沼遺跡の台地先端にある大型スーパーの屋上駐車場から南側を見ると、どこまでも低地が広がっています。
奥東京湾の低地だとわかったのは、外環道路のシェルターのかなたに、何か↓が、かすんで見えるから・・


             
送電鉄塔と重なってそびえるのは、東京湾岸に立つ東京スカイツリー!                井沼方遺跡出土の弥生の壺