2012.8.23 UP 8.29
By さわらびY(ゆみ)
58 大震災後の三陸被災地に学ぶ 2012.8.23〜25
「ワンダートラベラー 山田湾まるごとスクール」-1
2012年8月23日〜25日 「見沼文化」2012鎮魂祭として、東北三陸への旅
3・11東日本大震災の被災から一年半、鎮魂と向かい合う山田町の現状を知るとともに、復旧・復興に新たな「人間関係の創造」を祈念し、「今後」を被災地と共に考えようという目的で、NPO野外調査研究所、馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム、新潟大学災害・復興科学研究所(危機管理・災害復興分野)の3団体主催の旅が企画され、2泊3日の研修旅行が行われました。
馬場小室山遺跡に学ぶ私たちにとっては、「見沼文化」2012鎮魂祭として位置づけ、三陸地域文化の再発見に、今後のあるべき姿を学ぶ機会としたいと考えました。
参加者数は10名でしたが、自然の容赦ない力の大きさと、それに対応して営まれてきた人の暮らしと歴史、美しい海と町の再興への息吹が強く感じられた意義深い旅でした。
朝の山田湾スケジュール
8月23日(木)
12:00 新花巻駅出発⇒道の駅遠野で昼食⇒大槌町吉里吉里海岸の被災状況見学⇒大槌町崎山弁天遺跡見学⇒山田町の高台移転のための発掘現場(船越地区と織笠地区)見学⇒光山温泉岳泉荘泊
8月24日(金)
山田町房の沢古墳群見学⇒釜石市立鉄の歴史館の展示を見学⇒大槌町吉里吉里漁港(蓬莱島眺望)⇒大槌駅跡⇒かき小屋で昼食⇒山田八幡宮参拝と山田祭について宮司のお話⇒鯨と海の科学館の復興と収蔵品保存作業を見学⇒光山温泉岳泉荘着
8月25日(土)
岳泉荘出発⇒山田八幡宮で「津浪記念碑」調査⇒釜石市サンフィッシュ釜石でお土産購入⇒12:45新花巻駅で解散
8月23日 午後3時 大槌町吉里吉里海岸の被災状況見学⇒崎山弁天遺跡を遠望⇒崎山弁天遺跡見学へ
各地から新花巻駅に到着し、マイクロバスで出発 道の駅遠野で昼食 釜石市から三陸海岸の被災地が車窓に広がる ↑は鵜住居地区
大津波と大火で1,300人以上が犠牲となった大槌町に入りました
津波で2階まで浸水破壊された県立大槌病院が見えてきた。 津波の引き波の破壊力を物語る吉里吉里海岸の陸橋
吉里吉里は、井上ひさしの小説『吉里吉里人』に登場する架空の国と同名の村として、町おこしが行われた漁村。
今、漁港や町の復興の兆しがようやく見えてきたところのようです。
吉里吉里海岸の陸橋 船越湾と崎山弁天遺跡のある吉里吉里半島を望む
「キリキリ」はアイヌ語で「白砂」、小説では浜の砂を踏む音から地名となったとのこと。その浜辺は津波の後も美しい。
赤い屋根が老人ホーム三陸園、その下に崎山弁天遺跡がある 崎山弁天遺跡が保存された広場と発掘調査された林道
遺跡を望む木立の中で、資料を見ながら鈴木正博さんの説明を聞きました
崎山弁天遺跡は、吉里吉里港を抱く小半島の北側斜面にある縄文時代前期末から後期にかけての遺跡で、一部に貝塚も含まれている。
先端は海食で出来た崖際まで続き、壁面に遺物の露出がみられる。
数度の調査で、尖底土器をはじめ前・中・後期にわたる多数の土器片・土偶片・石器類が採集されている。
昭和46年(1971)林道工事で貝塚が発見され、緊急発掘調査を行われた。
貝塚は、縄文中期末から後期初頭にかけて形成され、規模は幅約6m、長さ30m、厚さ中央部約1mで6層が確認されている。
出土品はおもにイガイ・マガキ・タマキビ・クボガイ・マツバガイなどで、ほぼ現在も付近の岩礁に生息している貝である。
海岸崖際の平地からは、円礫20数個からなる配石遺構2基が発見されている。
23日 夕方4時 高台移転のための山田町の発掘現場(船越地区と織笠地区)を見学リアス式海岸の続く被災地では、町の復興策として、高台集団移転のための発掘調査が今、急務になっています。
文化庁では全国自治体に調査を担当する専門職員の派遣を要請、山田町でも2名の派遣職員が急ピッチの調査を行っています。
今回は、大阪府から応援に来ている横田明さんと滋賀県派遣の北原治さんに現地を案内説明していただき、その状況を学ぶ貴重な機会を得ることができました。
山田湾に面した浦の浜海水浴場 この上にあった船越小学校も津波でさらわれた↑ ここから横田さんと北原さんにご案内いただく
船越小学校跡から裏山を登り、試掘の終わった調査現場を見学。 未購入の移転候補地なので立木の伐採は不可。手掘りでの発掘されたとのこと。
織笠の町も織笠川を遡上する津波で壊滅し、現在も浸水したまま。 高台移転のため背後の裏山の試掘調査が行われました。
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