2012.8.24〜25 UP 8.30
By さわらびY(ゆみ)
58-2 大震災後の三陸被災地に学ぶ 2012.8.23〜25
「ワンダートラベラー 山田湾まるごとスクール」-2
2012年8月24日 午前8時半 房の沢古墳群の探索へ 房の沢古墳古墳群
海を見渡す古墳群
房の沢古墳群は、波静かな山田湾、北上高地に連なる山々、鮭がのぼる関口川と、山田の美しい自然を見渡せる小高い丘につくられた古墳群。
平成8〜9年に緊急発掘調査が行われ、円形に土を盛った埋葬部分と三日月型の溝からなる35基の古墳と馬の墓などが発見された。
出土品は1200年前古墳時代末期から奈良時代にかけてつくられ、築いたのは当時山田地方を納めていた蝦夷の首長クラスであったと考えられている。
遺跡の大半は、三陸縦貫山田道路建設工事で消滅したが、丘の上には現在も数基の古墳が残されている。
豊富な出土品
古墳の中には、蕨手刀などの刀剣、鉄製の武器や農工具、土器、錫製品、黒曜石などの副葬品が納められていた。
須恵器や錫製アクセサリーなど山田以外の地域でつくられた品々も含まれ、広く各地と交流を持っていたことがわかる。
これらの出土品は平成17年に岩手県指定有形文化財となった。
山田北小学校の横の林道に案内板があった。 三陸の末期古墳を研究している五十嵐さんから説明 遺跡のある丘を背景に記念写真
山田北小学校の裏から山道を行く。 途中祠があり、そこからは藪こぎで登り、頂上へ。 この後ろは山田道路で、遺跡があったたところです。
24日 午前10時半 釜石市立鉄の歴史館の展示を見学 日本ではじめて様式高炉が稼動し、日本の鉄産業に貢献してきたまち、釜石ならではの「鉄の総合的な資料館」です。
南部藩士の大島高任が安政4年、釜石市大橋に我が国で始めて西洋式の高炉を築き、鉄鋼石の精練に成功。
その高炉模型を復元し、マルチイメージスクリーンを使い、往時の鉄づくりの様子を紹介しているほか、古代から現代までの歴史的資料や鉱石標本や鉄製品が展示されていました。
丘の上に建つ鉄の歴史館 釜石大観音の後ろ姿と釜石湾を一望 房の沢古墳出土の蕨手刀など古代鉄製品の展示を見る
(展示品は撮影禁止)
ロビーには3.11大震災と津波の記録写真が展示されていました。 臨場感せまる「釜石東中・鵜住居小 生徒の避難」
(鵜住居川河口にあった釜石東中学と鵜住居小学校の児童生徒は、津波三原則の機敏な避難で極限状態を脱し「釜石の奇跡」をもたらしました。)
24日 正午〜午後1時 大槌町吉里吉里漁港(蓬莱島眺望)⇒大槌駅跡⇒かき小屋で昼食
急ピッチで復旧工事中の吉里吉里漁港にバスを止め、蓬莱島灯台(ひょっこりひょうたん島)を遠望しました。
大槌町本町にあった山田線「大槌駅」のホーム跡。
山田湾大島(オランダ島)と小島 黄色の水平線は牡蠣のいかだ 山田町船越の「かき小屋」で昼食。
山田町観光協会が復興のシンボルにと「かき小屋」を再開しました。11月からのシーズンは蒸し牡蠣が食べ放題とのこと。
店主の佐々木隆さんから、山田町の大津波の時の状況について語っていただきました。
意外なことに、「山田町を襲った津波は、風呂のふちをあふれこぼれるように静かに防潮堤を越えてきた。
地震直後も堤から見ていた人や、TVでの避難勧告も伝わらず防潮堤の海側の様子も見えず、家で亡くなった方も多かった。
数波の波が町をかき回しているうち、火事が頻発、大火になって被害が拡大したのが山田町の特徴でした。」とのことでした。
山田町3.11津波映像( 善慶寺より三浦さん撮影) 東北地方太平洋沖地震による津波後(岩手県山田町〜大槌町上空)
「思い込みの悲劇」 (北海道放送)
24日 午後2時 山田八幡宮正式参拝と、祭り復活に奮闘中の佐藤宮司さんのお話を聞く
八幡宮一の鳥居と祭り復興Tシャツの看板 三の鳥居と江戸時代から伝わる社殿 拝殿で参拝後、佐藤宮司さんのお話を聴く
山田町の町役場が隣接する高台に位置する山田八幡宮に正式参拝し、山田町の復興のため「山田祭り」再興に尽力されている宮司佐藤明徳さんにお話をお聞きしました。
この神社は、源義経の身代わりで討ち死にした佐藤継信の守り神(清水観音)を祀り、後に武内宿弥と合祠されて武内社と称し、幕末に八幡宮となったという由緒ある歴史を持ちます。
9月の敬老の日を絡んで3日間、八幡宮と北浜の大杉神社から神輿が渡御、民俗芸能が次々奉納される「山田祭り」は、お盆より帰郷する人が多いという山田町をあげて大祭で、地震後も規模を縮小して行われた昨年に引き続き、今年も9月15〜17日伝統を引き継ぐ祭りが行われる予定で、山田町復興のパワーの源と期待されています。
震災の被害については、「大津波は神社の一の鳥居と町役場の下まで来て止まったが、大火が2日間町を襲い、その火の手が神社ふもとまで来ました。ご神体を持って逃げましたが、類焼寸前で消火されました。
低地の北浜にあった大杉神社は、コンクリートの社殿を残して壊滅しましたが、がれきの中からご神体を救いだしました。
神輿が舟で海を渡御する「おしおごり」は中世の様式を残す貴重な民俗文化財で、今年はまだこの海上渡御は休止ですが、神輿が修復され戻ってきたので八幡宮と大杉の2基の神輿が行き交う神幸祭は行います。」とのことでした。
二の鳥居横の「津浪記念」碑を見る 宮司さんに案内され、仮設の八幡町商店街へ 祭り復興の拠点となっている居酒屋で山田祭のVTRを鑑賞
24日 午後4時 鯨と海の科学館の被災状況と復旧、収蔵品の保存作業などを見学 山田町は古くはイルカ漁、戦後は昭和62年まで商業捕鯨が行われていて、平成4年に山田湾と船越湾に挟まれた船越地区に開設された「鯨と海の科学館」は、その学術的な評価とともに山田町のシンボルです。
今回の地震では5mの津波が2階まで達しまた別棟に搬入完了したばかりの吉崎誠博士収集の貴重な海藻標本の大部分が失われたことなど大きな被害を受けました。
(⇒この海藻標本のレスキューについては、2011年11月13日の「見沼文化」2011収穫祭 シンポジウム「顔晴れ、東北魂!―馬場小室山遺跡からのエール―」で紹介されました)
今回の研修旅行の最後に、再開館に向けて頑張っておられる湊敏館長ほか先生方のご厚意で、館内を見学、被害の概要と復旧工事、文化財レスキュー活動等についてお話をお聞きできました。
幸い、館は休館中で人的被害はなく、また展示のメーンのマッコウクジラの最大模型は無事、貴重な18mのマッコウクジラとミンククジラの骨格標本も、1階天井からぶら下げられていたため、大きな損傷はなく、カビの発生を抑えるため展示室の室内環境の整備が急がれていました。
収蔵品の保存のため、新素材のフィルムによるラッピングと脱酸素剤と窒素封入が、町教育委員会か収蔵の民具も対象に含めて、フィルムメーカーと筑波大学などの協力で試みられていました。
館の周りの広い公園は、ガレキの分別処理場。館内も空調もきかない環境の中、収蔵品を適切に保存処理しつつ5年以内の再開に向けて、ボランティアの協力を得て奮闘しておられる職員の方々の姿に感服しました。
ドーム内のクジラ模型は無事でした 骨格標本の保存はカビとの闘い。設置工事中の空調が明日試されるようです
8月25日 午前8時40分 八幡宮の「津浪記念」碑の調査
前夜の宿での勉強会で、昭和8年の大津波を記念し、後の人々に警告を残す目的で建てられた山田八幡宮の「津浪記念」碑を、文化財として大切にするとともに、今回の大津波の教訓としても活用すべきという意見がだされ、さっそく翌朝、帰る途中、きちんと調査することになりました。
銘文を記録、法量を測定しました。表面は住民向けの警告でわかりやすく簡潔、裏面は津波の被害と救援の記録など文字数が多く、記録に手間がかかりました。
今後は石面を磨いてコケを除去、銘文が読みやすいよう陰刻文字に塗料で色入れするなど、活用の提案とお手伝いをしていこうと考えています。
[表面銘文]
津浪記念
一 大地震の後には津浪が来る
一 地震があったら高い所に集まれ
一 津浪に追はれたら何所でも此所
位高い所へのぼれ
一 遠くへ逃げては津浪に追付かる
近くの高い所を用意して置け
一 縣指定の住宅適地より低い所へ
家を建てるな
昭和8年の津波被害に対し、朝日新聞社に寄せられた義捐金の分配を使って、昭和10年に建てられたものとのことがわかりました。
一目瞭然、読めばその通りといえる津波対策が記されています。今回の津波でも手前の一の鳥居のところまでは押し寄せたようですが、山田八幡宮に逃げていれば、生命を奪われることにはならなかったのです。
明治29年と昭和8年の大津波後の教訓のように、その都度叫ばれ、そして忘れられるということを何度も繰り返してきた。この石碑はその忘却の歴史も物語っているように思えます。
8月25日 午前10時 釜石市のサンフィッシュ釜石でお土産購入後、新花巻駅へ
この日も山田湾は、穏やかで美しかった。 釜石駅前の新日鉄の工場、大津波でも炉の火を消さずに操業が続けられたとのこと
サンフィッシュ釜石内のお店の地元鮮魚の品ぞろえはもう少し時間が必要かも。 ここで「うにほたて」缶詰などを買いました。
2泊3日の「山田湾まるごとスクール」は、盛りだくさんの見聞と課題と感動をいただいて終わりました。
集合の時配られた「山田湾まるごとスクール」の夏休み宿題帳のような資料冊子の冒頭に、今回の「学習目標」が書かれています。
・山田湾を、見て、聞いて、話してみましょう。
・山田湾の今かかえる課題をみつけてみましょう。
・山田湾の課題に、私たちはどのようにお手伝いしていけばよいのか、考えてみましょう。
何が「正解」かわからないこれらの問題-------------------
人間関係を新たに創造し、みんなの知恵で「最善解」を出していきましょう。
私たちは今、その第一歩を歩み始めたばかりです。
でもそのスタートライン立てたことを、スクール事務局の方々と現地でお会いした方々に感謝したいと思います。
黄昏の山田湾
大きな画像とその他の画像は⇒ 2012.8.23〜25 三陸の旅 をご覧ください