2013.9.14
By さわらびY(ゆみ)
62-2 海と山と人々が語る自然と文化、そして震災復興への新たな一歩
第2回「山田湾まるごとスクール」旅の記録-2(第2日目午前)
T 8月31日AM 近くの海岸の自然観察へ
2日目の朝、ホテル前に集合。 2か月前の6月に来たとき、吉川さんが発見した船越北長林地区の小さな浜と磯のポケットビーチへ、自然観察に行くことになりました。
鯨と海の科学館館の湊館長と道又さんも来てくださり、海岸まで同行、解説をしてくださるとのこと。
あいさつの後、いざ出発です。
「ホテルビジネスインやまだ」の前の国道45号線を少し下り、すぐに右折します。
住宅街を進むと・・・(民家の横にかわいらしく並ぶのは? 網の浮きらしいです)
住宅街の奥の山道を行くと、山田線の線路が。鯨と海の科学館裏の岩手船越駅へと伸びてますが、震災後運休中です。
海に向かう斜面林で、樹木についての説明を聞きます。
湖のような山田湾が見えてきました。
海岸へ降りる崖は、ロープを張って怪我がないようサポート
このポケットビーチは、「金洗い場(かねあらいば)」と呼ばれる浜だそうです。
雲に隠れた十二神山をバックに、大島・小島が重なって見えます。
手前は花崗岩が風化した砂浜で、海水の透明度は抜群です。
砂浜に黒く模様を描く砂鉄。「金洗い場」の所以です。
花崗岩の切り立った崖面
花崗岩の崖面には、火成岩が陥入した帯状の層が見られる
マグマが突き抜け固まった火成岩層
磯には、さまざまな生物が見られます
これはカモガイ(カサガイ目)潮間帯の岩礁にすむ貝です⇒山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)「山田とことこ日記」にも、山田湾まるごとスクールの活動が紹介されました
U 船越半島の荒神社参拝
ホテルに戻り、バスで船越半島最南端の荒神社(あらがみしゃ)へ。
荒神社は、古来アイヌが祀る理訓許段神(りくこたのかみ)に綿津見神を合祀、宝治2年(1248)宮古根城主の閉伊頼基公を祀る神社と謂われます。
弁天島と荒神社前のビーチ。
荒神社拝殿と境内
神社境内から船越湾
津波で手水舎は流失、鳥居は震災後の再建
震災後、海水浴場はお休み。
海水の透明度がよく、海藻も再繁殖し始めている
V 畠中遺跡の発掘調査資料を見学
震災後の復興工事で発掘調査中の畠中遺跡出土資料を、山田町教育委員会の埋蔵文化財整理室で、見せていただきました。
畠中遺跡での主な調査成果 (「広報やまだ」2013年7月1日号 現地説明会記事から)
・縄文時代後期〜晩期と、古代(奈良〜平安)の遺跡である
・縄文時代後期のヒスイ製のペンダントや鉱物で赤く着色された土器。土偶が出土した
・縄文時代晩期の「亀ヶ岡式土器」が出土した
・炭窯や製鉄炉から排出される鉄滓やフイゴ羽口など、古代鉄製さんに関する遺構・遺物を発見した
富山市職員として山田町に応援派遣され、畠中遺跡の調査を担当された小林高範さまと山田町教育委員会さまには、今回資料の見学と撮影、Webでの公開について、快くご了承いただいたことを感謝します。
埋蔵文化財整理室も、被災地に置かれたプレハブの中。
調査されている富山市の小林さんと千葉県からの応援職員
小林高範さまに調査の概要を説明いただきました
石器(左上) 土器(右側) がいっぱい
製鉄による遺物(上:フイゴ羽口 下:鉄滓)
ヒスイ製ペンダント
小さな石製品
上:縄文後晩期の土器
左:人面付土器の口縁部 中央:土偶胴体 右:土偶の顔面午後からは、この畠中遺跡の調査現場見学、大浦の仮設住宅でのお話を聞く会、鯨と海の科学館訪問と、続きます。 ⇒次ページに続く