2013.9.16
By さわらびY(ゆみ

62-4 海と山と人々が語る自然と文化、そして震災復興への新たな一歩

第2回「山田湾まるごとスクール」旅の記録-4(第3日目)

T 最終日は宮古に寄って 

 最終日のは9月1日、早朝5:30に携帯電話のアラームなり、起床。山田町の緊急大津波速報で、この日の防災訓練の一環のようです。この日は、山田町北隣の宮古市の崎山貝塚を訪ねます。


朝の山田湾。「ホテル ビジネスインやまだ」から、
手前の仮設は「サービスステーションやすらぎ」

宮古へ向かうバスの車窓から、
霞露ヶ岳と、山田湾と大島小島、カキ養殖のいかだ。



U 宮古市の崎山貝塚を見学

 山田町から国道45線を北上し、宮古市へ。浄土ヶ浜の少し北の、姉ケ崎という岬に向かってのびた台地の上にある崎山貝塚を見学しました。
 貝塚を伴う三陸の代表的な縄文遺跡で、大正13年(1924)から柴田常恵等の研究者により調査されています。

崎山貝塚は縄文前期から後期の遺跡。
駐車場に体験学習用に竪穴住居が復元されています

    

説明板にあった縄文時代の「モリ」について
斉藤弘道さんによる青空考古学教室 


広場の中央には立石が。
雲が晴れるとこの先に山が見える

ムラのシンボルだった
縄文時代から立っていた立石

舌状台地の北側と南側斜面は土器捨て場の貝塚

北斜面は足元に土器片や石器がいっぱい


V 国名勝 浄土ヶ浜を遊覧

 最後に、名勝の浄土ヶ浜を訪ねました。
 三陸復興国立公園の代表する景勝地で、震災後の復旧工事もが進み、この夏は、レストハウスや遊歩道も完備して、震災復興の観光の要となっています。

 浄土ヶ浜約5200万年前の古第三紀に形成された火山岩からなる白い岩と小石が、波穏な入り江を形成し、海水浴場にもなっていますが、外海側は荒波の浸食で「剣の山」のような荒々しい姿を見せています。

 マリンハウスからはサッパ舟で「青の洞窟」(八戸まで続く穴という伝説で地元では「八戸穴」という)を周遊する時間もあったので、男女4人ずつ2艘の船に乗り、浄土ヶ浜の外海の景色や海蝕洞の探訪を楽しみました。


穏やかな入り江は、海水浴場として親しまれている


浄土ヶ浜としておなじみの景色

剣ノ山 (舟には女性4名が乗っています)

(男性陣の舟)

「八戸穴」(青の洞窟)が見えてきました。
舟のへさきではウミネコが餌を争っています

これが「青の洞窟」の中
海の色が神秘的です

観光用の遊歩道
地震による地盤沈下で1m以上嵩上げされました

レストハウス脇の昭和8年の三陸沖地震の津波記念碑と
昭和35年のチリ地震の津波記念碑を見る

W 宮古から盛岡へ

 12時に浄土ヶ浜を出発。 閉伊川に沿った宮古街道(国道106号線)を走り、道の駅区界高原(⇒写真)で休憩。 涼しい高原から下って盛岡駅に2時半に着き、ここで解散しました。

 バス内では参加者が今回の旅の感想を述べ、貴重な体験ができ、ぜひ次回も参加したいという声も多かったです。
 
 山田町の自然や歴史・文化を知る旅でしたが、私も山田町の方々との交流を通し、被災地に学ぶことの大切さ、そして持続することの意義を再確認しました。

 お世話になった山田町の皆様、ありがとうございました。