資料
By.さわらびY 2013.1.10
馬場小室山遺跡と鈴木・飯塚両ご夫妻に出会うまでの記録(「さわらび通信」BBSから)
「さわらび通信」BBSの書き込み記録から、私(さわらびY)が馬場小室山遺跡と鈴木ご夫妻・飯塚ご夫妻に出会うまでの経過を抜き出しました。
今(2013.1.10)読んでみると、偶然・必然の不思議なご縁と、掲示板を通じた未知の方々とのコミュニケーションの姿に感慨深いものがあります。
この後の記録は、「遺跡の重要性を周知させる活動の第一歩の記念すべき見学会」となった「11 小春日和の中の馬場小室山遺跡見学会 2004.11.23 By.ゆみ」から時系列にアップしてあります。
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1590. 環状盛土遺構のある遺跡について T花 2004/08/26 (木) 13:45
佐倉市井野長割遺跡や曲輪ノ内遺跡で縄文時代後晩期の環状盛土遺構が調査され、9月26日にシンポジウムが開催されるなど何かと最近話題ですね。なお、県外ですが、埼玉県さいたま市にある馬場小室山遺跡でも環状盛土遺構が見つかっており、現在9月中旬までの予定で発掘調査が実施されています。詳しくはさいたま市教育委員会にお問合せください。
当方は位置程度であればわかります。また、先日現場を見学したT氏及び遺跡の近くに住み、井野長割遺跡を案内したS氏は、規模・現況は井野長割遺跡と馬場小室山遺跡は類似点が多い(東側に谷津が入ること・一見、古墳がいくつかあるように見える盛土)といった話をされています。興味がある方は、ぜひご見学ください。
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1649. 最終局面を迎えている馬場小室山遺跡について さわらびY(ゆみ) 2004/09/28 (火) 23:02
T花氏よりのNo.1590「環状盛土遺構のある遺跡について」で紹介されている環状盛土遺構が見つかっている馬場小室山遺跡について この遺跡の調査が最終局面を迎えている模様が伝わるメールの紹介が、「千葉市の遺跡を歩く会」のBBSに載っています。
http://www.book61.co.jp/に掲載の「【緊急依頼】馬場小室山遺跡発掘調査ボランティア募集」という転載メールです。
http://www.book61.co.jp/information/borantia.htm
開発のための発掘調査期限のタイムリミットと闘いながら、極限状態で真摯な調査を続けておられるプロの担当者の苦闘が、この転載メールから伝わってきます。
私たち一市民が先日の「環状盛土遺構」のシンポジウムのような機会に貴重な知見に接することができるのも、現場の調査担当者のご
苦労の結果であるとすれば、他人事ではありませんね。
来月には宅造工事が始まってしまうのでしょうか。現場はさいたま市でちょっと遠いですが、一度見てみたいとも思うのですが・・
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1657. 馬場小室山遺跡へ行ってきました さわらびY(ゆみ) 2004/10/02 (土) 20:17
T花さんからお寄せいただいた情報と、千葉市の遺跡を歩く会のあるけ~さんのサイトの地図を頼りに、さいたま市緑区三室にある馬場小室山遺跡へ行ってきました。
調査期限の緊迫したタイムリミットのなかで、発掘作業にご苦労されて先日調査終了せざるを得なかった遺跡現場の最後の姿を見届けてきました。
現地で、遺跡に興味を持ってこられた地元の若い方に教えられることがありました。次のURLはこの方にお教えいただいた東京新聞の地域ニュースです。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/stm/20041001/lcl_____stm_____001.shtml
画像とルポは整理次第UPしますが、とりあえずこの記事をお読みください。
なお、明日駆けつけたいと思った方へ、
地図はこちらです。
http://www.nifty.com/cgi-bin/mapview.cgi?
map_x=139.41.15.0&map_y=35.52.57.7&map_szx=520&map_szy=420&map_zoom=11&map_center=1
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1658. 馬場小室山遺跡の速報をUP さわらびY(ゆみ) 2004/10/03 (日) 08:33
馬場小室山遺跡見学の速報をUPしました。
まだ資料と知識が不十分ですので、とりあえずの速報です。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/omuroyama.htm
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1660. Re^2:馬場小室山遺跡の速報をUP さわらびY(ゆみ) 2004/10/04 (月) 00:25
あるけ~さま
本日の貴会の「加曽利町を歩く」は雨の中の遺跡巡りだったご様子、お疲れ様でした。くれぐれも風邪をひきませんように。
馬場小室山遺跡の速報を見てくださってありがとう。
発掘の担当された方々も、調査用具もひきあげてしまった調査現場。宅造工事の前のつかの間の静けさのなか、近所のご家族が散歩されていましたが、「市のほうは、従来より遺跡の存在、重要性を市民・業界に周知する努力をしていたのか」は本当に?です!
現場を訪ねた後、有名な人面土器など小室山遺跡の重要な出土物を見たいと思って、すぐ近くのさいたま市立浦和博物館に行きました。
ところが、「浦和とサッカー1世紀展」のため、常設展示されているこの遺跡の出土品も片付けられて、一切見ることができませんでした。
http://mytown.asahi.com/saitama/news01.asp?kiji=5905
(これって、遺跡隠しとしか思えない!)
遺跡に関しての資料もほとんど置いていなく、市教育委員会でないとなにもわからないとのこと。
しかたなく、「浦和市出土品百選」という10年前の写真集を買いましたが、なんと馬場小室山出土品が13点も入っている。ほかもほとんどこの付近のものばかりで、馬場小室山とその周辺は旧浦和市を代表する遺跡だとわかりました。
といっても、ここでは最新の情報はなにひとつ入手できません。
仕方なく県立博物館に行き、この遺跡の出土の人面土器のレプリカと土偶付土器の2点を見ましたが、図書の販売コーナーでも最近の資料はありませんでした。
新聞記事にもあった考古学協会の「馬場小室山遺跡の保存に関する要望について」と「馬場小室山遺跡に関するコメント」が考古学協会HPにUPされていますので、こちらもリンクしておきます。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jaa2/maibun/index.htm
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jaa2/maibun/yobo0416.htm
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1663. Re^3:馬場小室山遺跡の速報をUP あるけ [URL] 2004/10/04 (月) 22:26
いつもながら貴重な情報、ありがとうございます。
>貴会の「加曽利町を歩く」は雨の中の遺跡巡りだったご様子、
>お疲れ様でした。
あの雨の中、参加予定のほぼ全員が集まったのには、
主催している側の身ながら、驚きました。
最後まで元気だったのは私だけだったようですけど。
秋はいろいろ予定がみなさんあるようで、敢行しましたが、
距離があり、みなさんにはきつかったようです。反省してます。
>「市のほうは、従来より遺跡の存在、重要性を市民・業界に周知する努力をしていたのか」は本当に?です!
やはりそうですか。
>さいたま市立浦和博物館~県立博物館に行き~
>図書の販売コーナーでも最近の資料はありませんでした。
さわらびさんの行動力と熱意には頭が下がります。
そもそも興味のない人にも関心をもつように広報・普及活動をする責任があるのにわざわざ積極的にこちらから調べにいっても何もない、とはけしからん話ですね。埋蔵文化財に関してはどこの自治体も実態は「知らしむべからず」の世界なんですかね。
どこの市だったか(どーこだったかなぁー)、重要な遺跡であればあるほど市民に知らせてはいけない、という倒錯した「論理」を職員に徹底している市があることを知ってますので、それほど驚かなくなっていますが(慣れは恐ろしい)。
いずれにしろ情報隠しをしていてはやるべきことをやったといえないのは当然です。
せめて今後の動向に注目し、情報を発信していきたいと思っています。
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1668. 馬場小室山遺跡の出土品 さわらびY(ゆみ) 2004/10/06 (水) 21:21
あるけ~さま、T花さま
馬場小室山のルポを編集し始めました。
不勉強のまま出かけたので、今になって「復習」し、その遺跡と出土品の重要性にびっくりしている現状です。
有名な土偶装飾土器・人面画土器は、県立博物館で撮影も可能でした。買ってきた写真集「浦和市出土品百選」に収録されているその他の出土品も祭祀用の重要なものばかりです。
いったいこの遺跡はなんだろうと考えてしまいます。
ところでちょうどその週末、大宮西口ビルで市教育委員会の「最新出土品展」がおこなわれていたのですね。
http://www.city.saitama.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020046&WIT_oid=saitama::Contents::19602
県立博の帰りにこのチラシを入手しましたが、もう寄る余裕はなくて見逃してしまいました。
市のHPでは、不鮮明だと思いますが、遮光式土偶と「の」字形石製品は、なんと馬場小室山遺跡出土なのです。
市立浦和博物館では、出土品を見たいと一生懸命お聞きしているのに、この展示について何にも教えていただけなかったのは、とても残念でした。
わたしもつい愚痴っぽくなっているかもしれません。
(さいたま市教委の関係の方、もしご覧になっていたらごめんなさい。)
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1677. 馬場小室山遺跡の緊急で重要な資料 さわらびY(ゆみ) 2004/10/10 (日) 08:21
「千葉市の遺跡を歩く会」のHPで、馬場小室山遺跡の緊急で重要な資料を掲載してくださいました。
馬場小室山遺跡の調査に関する要望書 (鈴木正博氏 2004年9月16日提出)
馬場小室山遺跡緊急発掘調査の経緯と研究者ボランティア活動推移
馬場小室山遺跡緊急発掘調査の課題(研究者ボランティア報告)と今後の対応(要望書) 鈴木正博氏
http://www.geocities.jp/chibaiseki/
「千葉市の遺跡を歩く会」のTOPページ更新欄よりご覧ください。
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1678. 「馬場小室山遺跡からのメッセージ」をUPしました さわらびY(ゆみ) 2004/10/11 (月) 01:16
「馬場小室山遺跡からのメッセージ」をUPしました。
とても珍しい出土品などからこの遺跡の性格を想像してみました。
この拙いHPが、遺跡の保存、または調査の続行をお考えいただく一助になればと願って、とりあえず馬場小室山遺跡シリーズはこれで完結します。
また新しい情報がございましたら、このBBSかメールでお知らせください。
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1680. 馬場小室山遺跡・再訪しました さわらびT 2004/10/11 (月) 20:53
Yにあおられたわけではないのですが、思い立って、「馬場小室山遺跡」を再訪しました。
前回は車だったのですが、今日は電車をのりついで、武蔵野線の「東浦和」駅まで、約1時間、駅からは「馬場折返所」行きのバス、「三室中学校前」で下車、バスの乗客は私一人でした。
写真を撮っていましたら、ちょうど鈴木先生がこられ、自己紹介しましたら、それならと、ぜひ遺跡を知っていただきたいと概要をご説明いただきました。
よく知られた遺跡で、ずいぶん丹念に調査されていたことを知りました。なぜ、全国でも有数の環状盛土遺跡が、消滅しなければならないのか、中央窪地は買収されていて関連する隣接地を入手できるのに、なぜか手放す、行政のあり方にあらためて疑問を感じます。
とにかく、行ける人は、何度でも出向きましょう。
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1681. 馬場小室山遺跡の新情報 さわらびY(ゆみ) 2004/10/12 (火) 00:42
気にかかっていた馬場小室山遺跡ですが、Tが浦和に行くというので、遺跡の様子を見てきてと、頼みましたら、なんと現地で遺跡の保存に奔走されておられる鈴木先生にお会いできたとのこと。
現地をつぶさにご案内していただき、さらに浦和市郷土文化会発行の『馬場小室山遺跡』(S59発行)を、おみやげにいただいてきてくれました。
話を聞き、また本の中の遺跡実測図を見て、いろいろな謎が解明できました。
1.中央くぼ地は(予想通り)遺跡東側の竹やぶで半径50mぐらいもあり、周囲より2mほど低くなっている
2.遺跡はこのくぼ地の周囲に形成され、その範囲は200m四方におよび、井野長割遺跡をはるかにしのぐ
3.なぞの大穴は、人面土器が埋めてあった第51号土坑のように、土器をていねいに埋めた穴とのこと。ここからは完形の土器が多数の土器と共に出土したらしい。
などなど・・
また気にかかる現状ですが、樹木の伐採と重機用通路の確保が進んでいるが、まだ多量の遺物の包含しているマウンド部分の掘削までにはいたっていないそうです。
先生は、もし多量の遺物を含んだ廃土を他所に運んで廃棄すると、そこに新しい縄文遺跡が「捏造」されてしまう結果になるので、この「残存埋蔵文化財」の取扱いに慎重を期すよう、また未調査地区が保存されるよう絶対にあきらめずに運動していかれるとのことです。
一応完結なんて言った馬場小室山シリーズですが、新しい情報や私があらためて学んだことをまた追加していきたいと思っています。
どうかご指導をお願いします。
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1682. 馬場小室山遺跡の新情報2 さわらびY(ゆみ) 2004/10/12 (火) 01:19
鈴木先生の公開メール【馬場小室山その後の展開】と、さいたま市教育委員会と宅造業者への要望書が「千葉の遺跡を歩く会」サイトにUPされています。
http://www.geocities.jp/chibaiseki/
先生の決意にジ~ンと来ました。ぜひお読みください。
新しい展開が見えてくるかもしれません。
またいただいたご本から遺跡の実測図をUPしました。
「馬場小室山のかたるもの」のページ下にリンクしてあります。
ご参考にしてください。
(あるけ~さん、お得意の空中マップにわかりやすく加工できますか?)
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1692. 馬場小室山遺跡の概念図拝見 あるけ [URL] 2004/10/14 (木) 00:39
馬場小室山遺跡の概念図,拝見しました.
よくわかりました。
さわらびさんに作っていただいてよかったです。
中央窪地を大きな盛土のひとつと誤解してました
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1694. 「消えゆく遺跡」にさせたくない! さわらびT 2004/10/14 (木) 20:09
鈴木正博先生から、お教えいただきました。東京新聞10月11日朝刊(さいたま版)に、次の記事が掲載されています。
心ある方なら素直に納得できる文章だと思います。読む機会が少ないと思われますので、全文を引用させていただきます。(タイトルは『各駅停車 きえゆく遺跡』)
「さいたま市緑区三室にある縄文時代の遺跡「馬場小室山遺跡」の一部が、宅地開発のための発掘調査を終え、姿を消すことになった。古代から手つかずで残され、専門家が驚くほどの貴重な遺跡だった。
自主的に発掘調査を手伝っていた研究者や市民有志は「調査は終えていない」「将来まで残して」と訴えたが、調査を指導・監督する立場の市教育委員会は「最低限の調査は終えた」「民間の土地だから」と聞く耳を持たなかった。
遺跡を開発する場合、発掘調査の費用は通常、開発業者の負担。「金も出さずに、口は出せない」との市教委の主張は理解できる。
しかし、調査最終日、日没まで泥まみれで汗を流す市民有志の姿が忘れられない。古里の文化遺産を必死で守ろうとする市民に対し、先頭に立つべき市教委のつれない対応。その日、現場に姿を見せることさえなかった市教委担当者の態度に、消えゆく遺跡は何を思っ
ただろう。(磯谷 佳宏)」
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1696. 馬場小室山 すすむ 2004/10/15 (金) 02:11
今回の馬場小室山遺跡についてさまざまな記事が掲載されているように思われました。しかし、これら遺跡の状況写真を掲載したり、遺跡の細かな位置をこういった場所で掲載するのは果たして適当なのでしょうか?調査の不十分さを訴え、保護や保存のために多くの方が動いている中で、こうしたものを掲載することは単なる興味本位の人間によって遺跡を壊すきっかけを与えたりはしないでしょうか。鈴木先生の熱意に感動なさったのならば、こうしたことはおかしいのではないかと感じます。
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1697. Re: 馬場小室山 さわらびT 2004/10/15 (金) 07:00
すすむ様
はじめまして。掲示板への投稿ありがとうございます。
遺跡の保護についてはお考えもおありでしょうが、いつブルドーザーが入ってもおかしくない状況です。今は多くの人が関心を持っていただくことが優先だと考えています。
もし差し支えなければ、もう少し詳しいお立場とかお考えをお聞かせいただき、遺跡保護へのアドバイスをいただければ幸いです。尚、メールにてお話したいこともありますが、アドレスが不正確で届きません。メールいただけますでしょうか。
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1698. Re: 馬場小室山 T花 2004/10/15 (金) 18:57
さわらびT・Y 様 すすむ 様
こんばんは。
馬場小室山遺跡の件については、私が「千葉市の遺跡を歩く会」の掲示板に、情報を寄せたこともあり、毎日、その後の状況を見守っております。確かに様々な考え方はあろうかと思います。このような情報社会ですから、誰がいつ、この情報を得て、どのような行動に発展するのか・・・、怖い面はあるでしょう。
私は、埋蔵文化財に係る業務に関わっていますので、多少なりとも情報は入ってきます。今回、土地を購入した業者等のことも含めて・・・。 この遺跡について、実務として関わっているさいたま市教育委員会が、「部外者からあまり意見をもらいたくない。」という考えを持っているかもしれませんが、私個人としては「黙っていては始まらない!」という考えを持っています。ただ、私も日常業務に追われ、現地に行くこともできずにおりますので、発言は慎重にしたいと思っていますが、様々な意見が出され、遺跡保存についての議論が活発化することは悪いことではないと思います。
ですから、すすむ様のようなご意見を持たれることも大いに結構ですが、匿名での発言はよろしくないと思います。せっかくこうしたHPが解説され、自分の意見が発信できる場が提供されていますので、正々堂々とした方がいいと思います。
多少意見が偏ったかもしれませんが、私は、情報の載せることは大いに賛成です。
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1699. 追伸 T花 2004/10/15 (金) 20:07
すみません。
№1698でひとこと言い忘れましたので、書き加えさせていただきます。
それは、遺跡は、研究者や埋蔵文化財行政担当者といった、一部の人のものではないということです。研究者や行政担当者がいくら頑張ってもできないことはたくさんあります。日本の場合、遺跡の「記録保存をすること」が埋蔵文化財行政だと思ってしまいがちです
ので、保存については、まだまだ議論が不足していると思います。
また、たとえ学術目的の調査であっても、大学の先生が古墳の主体部だけ掘ってしまう場合も多々ありますよね。そういうほうがよっぽどたちが悪いです。
「素人は口を出すものではない!」というような考えは排除すべきでしょう。
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1700. Re^2: 馬場小室山 さわらびY(ゆみ) 2004/10/15 (金) 23:45
T花様
「遺跡は、一部の人のものではない」というお言葉、ありがとうございます。
すすむ様
研究者の方、行政や埋文の方々のお働きで、明らかにされる歴史の真実と、その価値ある知見をいつもありがたく享受させていただいています。
このHPは、そのいただいたことの何割かでも感想を交えて見ていただきたいと思って、発掘調査現場の取材ルポなどを載せていますが、もし当事者からのご意見をいただければ都度、改善して行きたいと思っております。
皆様へ
本BBSは、発言者の正しいアドレスをお願いしております。
またアドレスをオープンできかねるという方には、メールで掲載UPをご依頼いただければ、当方で引用紹介いたします。
またHPの感想や励ましのメールを下さった方、本当にありがとうございます。
今回の馬場小室山遺跡の紹介「お出かけガイド」は、遺跡を大雑把にかつ正しく知っていただく「概念図」がメーンです。
週末はお天気がよさそうなので、遺跡にお出かけになる方もいらっしゃると思い、案内をかねましたが、ご助言などいただき、見学にあっての注意点も加えました。
やはり、民有地でしかも緊迫した状況ですから、マナーとルールの厳守は大切です。
学ばせていただく、という視点で現地へ行って見たいと思います。
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1701. Re^3: 馬場小室山・破壊されました さわらびT 2004/10/16 (土) 10:58
現在Yが現場に立っています。(中央窪地で見守っています)
遺跡が破壊される瞬間に立ち会っています。
大木を切り倒す作業中ですので、現場に立ち入るのは危険です。土器が散乱しているそうです。
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1702. 馬場小室山遺跡の状況報告 さわらびY(ゆみ) 2004/10/16 (土) 18:22
今朝、馬場小室山遺跡へ行ってきました。
整地作業の工事は、昨日、今日で一気に進み、午前中いっぱいで、ほぼ発掘調査現場の埋め戻しと巨木の伐採が終了しました。
遺跡の東側の中央くぼ地からずっと見守っていましたが、20m以上の高さの樹木の根元が大きくユンボで掘られ、ドシンと地響きがして、根ごと引き倒されていきました。
作業の休憩時間に、警備のおじさんに話をして整地したところを観察させてもらいました。土器片は、湿った土まみれで見えにくいのですが、夥しいというほどではないのものの、北側にはけっこう散乱しています。
遺跡は、発掘調査の跡が残土で埋められ、樹木のあったところは伐採のため大胆に掘削されましたが、今日現在、盛土の厚い包含層が全て破壊されたわけではありません。
ですから、決してあきらめることはないでしょう。
宅造のために山全体の土取をするのは、次の段階ですので、その前に次善の策がとられることを祈ってやみません。
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1703. 「環状盛土遺構」 さわらびT 2004/10/16 (土) 19:38
「環状盛土遺構」というとまだなじみのない言葉ではないでしょうか。概念図を通じて、集落のつくられ方が見えてきます。遺跡の一部が破壊されたことで、よりわかりづらくなりましたが、暮らしの痕跡だと認識すべきなのでしょう。51号土坑から出土した人面がついた有名な土器がありますが、完型で出たそうですね。縄文人が大事に守っていたことがわかります。私達が、その心を汲み取ってあげなければ掘り出した意味はないです。
栃木県小山市にある寺野東遺跡が、環状盛土遺構として、関東地方における最初の認識例といえるようです。当初は祭祀遺構として理解されていたようですが、昨年明治大学での阿部芳郎の講演で聞きかじったことがあるので、多少気になっておりました。祭祀スタジアムという説には、批判的だったことも記憶しておりました。
では、この環状盛土遺構をどう理解すればいいのでしょう。先日の、シンポジウム「井野長割遺跡を考える」の配布資料を見ながらの要点をメモしました。といっても、まだまだ未解明な要素が多いようで、ちょっと歯切れが悪いように思えます。
江原英氏(とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化財センター)の資料には、寺野東遺跡の報告書に「粗製土器や石器をはじめとする普遍的な遺物が多量出土することに注目し、盛土部分が当時の居住域である可能性を示した」(江原英ほか1997)と記したとされ「また、後・晩期の集落に関わる研究史の検討と環状盛土遺構の類例集成により、寺野東遺跡の環状盛土遺構が、窪地を囲んで環状の高まりが巡る
という形態や時期のみならず、層の特徴や堆積状況・遺物出土状況等で、環状(馬蹄形)貝塚を含めた類例と共通点が多く認められることを指摘した」(江原「遺構研究 環状盛土遺構」1999)とあります。
「またこれら類例との比較作業等によって、環状盛土遺構は決して祭祀的・非日常的な構築物ではなく、関東地方後・晩期において一定程度普遍的な集落の一形態として議論すべきとの意見を提出した。」
人々の暮らしの痕跡としてあるのだとしたら、今まで気がつかなかったところにも環状盛土遺構はあるのでしょう。盛土は、日々の暮らしの中で人為的に形成されたものですが、その形成プロセスやムラの構造、あるいは人々の暮らしかたのさまざまな場面をあらためて教えてくれただろう遺跡が消えかかっています。
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1704. Re^4: 馬場小室山・破壊されました T花 2004/10/16 (土) 21:45
さわらびさん、こんばんは。
この「馬場小室山・破壊されました」を見て、本日午後4時過ぎ、現場へ駆けつけました。
そこで、偶然鈴木正博さんご夫妻とあるけ~さん、Bさんにお会いしました。あるけ~さんとBさんは、お2人とも私と同様にこのHPを見て驚き、駆けつけたそうです。
鈴木正博さんから、現場について懇切丁寧にご説明をいただきました。鈴木さんは、次の展開をお考えのようでした。
予想以上に突然のことであり、何とも言いようがありませんが、まずは、鈴木さんの発言等に注目したいと思っています。
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1705. 悲観的になることはない・・遺跡の保全 さわらびY(ゆみ) 2004/10/16 (土) 22:52
T花さん、こんばんわ。
あるけ~さん、メールありがとうございました。
9時半ごろ、馬場小室山の現地に着き、一気に進む工事の進行を見守っていて、そうだ、携帯電話があったのだと気づき、Tに状況を電話しました。衝撃的?なTの書き込みは、その伝言です。
若い頃は山好きのナチュラリストでしたので、樹木が根ごと倒されていくのは、生理的につらかったです。
そういえば、10年前、臼井城址の臼井田宿内砦跡の山で木々が伐採されていくのにも立ち会っていました。
一枚のマンション建設反対のビラに、「砦跡が奇跡的に残されている遺構」と書いてあったのがきっかけで、単身現地に通い、なれない縄張り図を描き、旧家の方への聞き取りなどの調査をしていました。
緊急レポートを「史談八千代」19号に掲載させていただきましたが、反響があったと知ったのは、それからしばらくたってのことで、臼井の有識者で発行している「うすゐ」12号のコラムに共感の書評が載っていました。
結局、市民の反対やバブルの崩壊で、臼井田宿内砦跡は守られました。
今は、携帯電話やインターネットなどリアルタイムの情報化社会です。情報化には影と光があるとのことですが、学術的な裏づけのある情報を発信して行きたいと思っています。
そして宿内砦のことを思えば、決して悲観的になることはないと自分に言い聞かせています
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1706. 馬場小室山遺跡の破壊現場 ドン・パンチョ [URL] 2004/10/17 (日) 14:57
ゆみさん、今日は。
昨日ゆみさんが発掘現場にお見えになっているとは知りませんでした。
小生は今朝、現場の様子が気になって出かけてみました。そして唖然としました。
10日前に見た現場がそこにはないのです。今朝11時現在の様子を橿原日記(http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/index.htm )にアップしておきました。
市の教育委員会に出された要望書に対して、市側はどのような回答を返したのでしょうか?ご存じなら教えてください。
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1707. Re: 馬場小室山遺跡の破壊現場 さわらびT 2004/10/17 (日) 19:44
ドン・パンチョ様
驚かれたことでしょう。まだ、希望は捨てないようにしたいです。情報は、当HPならびに、「千葉市の遺跡を歩く会」に随時UPします。最新情報は、下記でご確認ください。鈴木先生からあらためて要望書を提出しています。
http://www.geocities.jp/chibaiseki/
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1709. Re~2: 馬場小室山遺跡の破壊現場 あるけ [URL] 2004/10/17 (日) 23:35
>さわらびさん、
こんばんわ
>ドン・パンチョさん
はじめまして。
勝手にリンクさせてもらってます。
本日、現地に行かれたようですが、
工事は進行していたでしょうか。
南西の未調査の盛土の部分が心配なものですから。
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1710. 馬場小室山遺跡のHPについて さわらびY(ゆみ) 2004/10/18 (月) 01:14
ドン・パンチョさま
一夜明けた生々しい写真と、力の入った文章はさすが迫力がありますね。
あるけ~さま
「はじめてご覧になる市民の方へ」のUP、感動してしまいました。
>工事は進行していたでしょうか
16日現在、警備の方にお聞きしたところ、日曜日は作業はお休みとのことでした。
皆様へ
鈴木先生の書簡の中でご紹介いただいて、知らない先生方などからこちらのサイトをご覧くださる機会も増えることと思い、リンク・掲載の通知漏れなどの粗相がないか、緊張して点検に追われています。
(今までは、知人でののんびりとした歴史談義のサロンでしたから。)
学界・業界のルール、マナーに疎い点が多々あると思います。
初めてお越しいただいた方、お気づきの点がありましたら、どうかご助言ください。
ただし小心者ですので、どうかお叱りはメールのほうが恥を晒さなくて助かります。
(「励ましはBBSで」といったら、むしがよすぎますかしら?)
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1711. 地元サイト 「ばんばおむろ山―小室山保全運動の記録」 あるけ [URL] 2004/10/18 (月) 20:23
「ばんばおむろ山―小室山保全運動の記録」
というHPをみつけました。
地元の飯塚さんのHPらしいです。
http://www2.gol.com/users/iizuka.kuniaki/
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1712. Re: 地元サイト 「ばんばおむろ山―小室山保全運動の記録」 さわらびY(ゆみ) 2004/10/18 (月) 21:51
あるけ~さん、ありがとう
> 「ばんばおむろ山―小室山保全運動の記録」
> というHPをみつけました。
やはり、地元のHPが生まれていたのですね。
ひらがな書きのすてきなタイトルロゴ
「ばんばやまには、タヌキがおってさ・・」
私が行きそこなった最新出土品展もでている!
管理人さんの姿に、宿内砦跡を守った臼井の方々の姿を思い出します。
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1714. 読売新聞夕刊記事「環状盛り土遺構」 あるけ [URL] 2004/10/18 (月) 23:12
さわらびさん、こんばんわ
>ひらがな書きのすてきなタイトルロゴ
>「ばんばやまには、タヌキがおってさ・・」
どういうところか、どういう方々が住んでいるか
すぐわかるようなHPですね。
ところで本日10月18日読売新聞夕刊の文化欄で環状盛土遺構が
曲輪ノ内貝塚の発掘現場の写真つきで大きく取り上げられています。
見出しは「環状盛り土遺構―住居跡の累積に過ぎず―阿部助教授説で波紋」。
残念ながら、馬場小室山遺跡のことは触れられていませんが。
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1718. 環状盛土遺跡は縄文研究に貴重 塚原馨 2004/10/19 (火) 22:03
環状盛土遺構は縄文後晩期の集落構造や、社会組織についての情報がパックされています。実態が解明されれば、縄文研究が大きく進むことになるでしょう。
馬場小室山遺跡は私も見てきました。それだけに、十分な調査がないままに姿を消すとしたら、とても残念なことです。遺跡は今後どうなるのでしょうか。心配しながら、見守っています。
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1720. Re: 環状盛土遺跡は縄文研究に貴重 さわらびT 2004/10/19 (火) 23:44
塚原様
ご訪問ありがとうございます。今日、加藤先生の勉強会だったのですが、メンバーの方もHPを見て「馬場小室山遺跡」の話題に注目いただいているようです。
本当は、遺跡はそのままそっとしておくのが一番いいのかも知れません。200メートル四方のムラ全体が史跡なので、出来るだけ景観を壊さずに残すことは出来ないものでしょうか。
縄文時代のことはまだ不勉強です。これからも、お教えください。
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1721. ご心配おかけしましたが、復旧しました さわらびY(ゆみ) 2004/10/20 (水) 19:14
「さわらび通信」のTOPページが、急に真っ白になってさぞおどろかれたことでしょう。
ご心配くださった皆様、メールなどありがとうございました。
いろいろな方々にご覧いただいていること、あらためて認識させられました。
今回は、プロバイダーのメンテナンス作業でのトラブル発生のあおりで被害を受けたのですが、これがお商売のHPだったとしたら、補償はどうするのでしょうね。
HPの対応に追われているうち、馬場小室山の課題は次の展開を予定しているよう。
http://chiba.fc2web.com/hozon/bbo_041020smail.html
また、あるけ~さんから、1711. でご紹介いただいた地元サイト「ばんばおむろ山―小室山保全運動の記録」をすてきなロゴ入りでリンクしました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/omuroyama1.htm
「涙声になってしまい、電話を切る」というセンテンスで終わる『文化財保護課とのやりとり』のページはこちらも泣けてきそう。
http://www2.gol.com/users/iizuka.kuniaki/04.10.12%95%B6%89%BB%8D%E0%95%DB%8C%EC%89%DB%82%C6.html
少しでも工事を遅らせるため、台風も頑張ってくれているみたい。
今後ともネットでのお付き合いを、よろしくお願いします。
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1724. 阿部芳郎先生の馬場小室山についての新聞記事紹介 さわらびY(ゆみ) 2004/10/22 (金) 19:09
『赤旗』2004年10月20日学問文化欄に、明治大学助教授阿部芳郎が、「国史跡級遺跡に最大の危機-熱いまなざし注がれるさいたま市馬場小室山」という記事が写真入で掲載されています。
「直径50mほどのマウンド状の盛り上がりが、確認でき」「発掘がはじまると、そこには予想どおり大量の遺物と遺構にあふれていた。しかも最下層には中期の集落があり、その上に後期、晩期とおよそ二千年間にわたりいくつもの住居や貯蔵穴などの遺構が見事に累積している。国史跡候補であることに間違いはなかった。」と「盛土遺構」発掘の状況を述べられ、「国史跡として最有力候補とされてきた遺跡に、いま最大の危機が訪れている。」と訴えられておられます。
地元の保存運動や日本考古学協会の働きかけの経過を紹介したあと、阿部先生は、かろうじて延長された発掘期間の中、各地から集まった研究者や学生のボランティアを「今回の調査成果を将来に生かし、未調査地区の保存と活用を願う長期的なスタンスの上にたった学術ボランティア」とその意義を紹介されています。
詳しくは、ぜひこの記事をお読みください。
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1729. 馬場小室山遺跡の遺物を観察しました さわらびY(ゆみ) 2004/10/23 (土) 23:42
今日23日は、馬場小室山へ行きました。
工事も静かでしたので、午後2時ごろから30分ぐらい鈴木先生ご夫妻と数名で土器を探しました。
現場は大雨が続いた上、重機が入って土をかき回したので、足元は泥んこ。土器も見えづらく、土の固まりかと思って手で押すと固い手ごたえがあり、泥の塊の中から富士山のような突起のついた土器の口の部分や、きれいな文様の大きな土器片も出てきます。
私は、耕作で小さなかけらになり、摩滅した畑の土器片しか手にしたことがなかったので、今割れたばかりというような土器片にとても感動しました。
また鈴木先生には、実地でいろいろ教えいただき、考古学者の信念に触れた思いがしました。
今、写真の整理とルポをまとめるのに追われています。
土器の特徴などはじめて習ったことの復習で頭もいっぱいです。
「千葉市の遺跡を歩く会」のHPでも、「発見の届出」の証拠となった添付写真をUPしてくださるでしょう。
夜もふけてきましたが、皆様に発信すべくPCをたたいています。
土器の写真はもうしばらくお待ちください。
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1730. 2004.10.23 馬場小室山からのメッセージⅡ さわらびY(ゆみ) 2004/10/24 (日) 01:42
「2004.10.23 馬場小室山からのメッセージⅡ」をUPしました。
「プロジェクトZ」(ABCの最後のZ)、名付けて「インディー・ジョーンズ最後の聖跡作戦」の一端ですが、また土まみれの土器のさまざまな紋様などもお伝えできればと思います。
とりあえずのUPですので、推敲はこれから。
うろ覚えで、間違っている箇所があれば、ご指摘ください。
なお「千葉市の遺跡を歩く会」のHPでも、「発見の届出」の証拠となった添付写真をUPされましたので、関連リンクしました。
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1732. Re;馬場小室山遺跡の遺物を観察しました HON [URL] 2004/10/24 (日) 21:38
遅まきながら馬場小室山遺跡を見てきました。
既に何にも無く、日曜日のことで誰もいません。
今頃出かけたのは遺跡のある場所が気になったからです。
ここから東へ一キロと離れていない用水沿いにある氷川女體神社
です。大宮の氷川神社が男體神社と呼ばれて対で、さらに大宮中
川の中山神社(簸王子社)は御子神で三社一体といわれます。
先に奥多摩の奥氷川神社へ行ったので、中社・本社も、
というわけです。
氷川神社は神主の武蔵国造が出雲系であるように祭神も出雲神で
すが、わたしの関心はもう少し先の出雲神以前の地主神にあります。
氷川女體神社の社前は御沼と言われた処ですが、大宮の氷川神社の
周囲もかつては御沼原と呼ばれた場所でした。両御沼は一体の広大な
もので、氷川三社はこの御沼に面して建てられたのです。
女體神社前の磐船祭祭祀遺跡は江戸時代に御沼が干拓されてからの
ものですが、御沼時代の御船祭りは地主神の時代まで翻るでしょう。
その地主神とは氷川神社の門客神として摂社に下げられてしまった
縄文時代のアラハバキ神です。
ここでやっと馬場小室山遺跡につながるという訳です。
ところが、このアラハバキ神はクセ者で、世間で「偽書」とされる
一本『東日流外三郡誌』では、ツガル王国の神として遮光土器に似
せた挿絵まである始末で、イヤでも「偽書」と付き合わざるを得な
くなるのです。
サア~どうしょう。何しろ武蔵国一ノ宮ですから、
ホットク訳にもいかないし、、、
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1733. 馬場小室山遺跡と御沼の神 さわらびY(ゆみ) 2004/10/24 (日) 22:55
HONさま お久しぶりです。先日は真っ白なTOPページでご心配をおかけしました。
坂東千年王国で武蔵国の守のHONさまでは、「ホットク訳にもいかない」一ノ宮ですもの、いつかHON流の氷川神社三社のお話を読みたいと思っていました。
男女平等に一ノ宮というのも関東らしくていいですね。
これに子がいて、三匹獅子舞のようです。
「縄文遺跡のある風景 in印旛沼南岸台地の遺跡群」の佐山では、やや強引に三匹獅子舞の分布とくっつけちゃっいましたが・・・
「2 馬場小室山遺跡のあるところ」でも書きましたが、三室とは「御室」であり、見沼は「御沼」でだったと思います。
これに、小室社のある小室(おむろ)山もまた「御室」で聖なる山であったという私の想像に、東日本の神様のことならなんでもご存知のHONさまのお墨付きが得られれば、うれしい限りです。
また文化は水系でつながっていますので、とくに縄文中期の浮島・阿玉台式の文化圏は中世まで、おそらく変わらないだろうというのが、見沼(御沼)と印旛沼をくっつけたこれの私の「強引な」推理です。
科学的な実証を重ねていく考古のみなさまからの目からみると、根も葉もない話になりそうですが、民俗や信仰から遺跡の位置と存在理由を考察してみるのも楽しいことだとおもいますが・・
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1734. 馬場小室山遺跡について、メールからの投稿 さわらびY(ゆみ) 2004/10/24 (日) 23:01
馬場小室山遺跡について、BBSにとメールでお便りをいただきましたので、ご紹介します。(アドレス非公開をご希望の節は、メール
からご紹介します)
投稿ありがとうございました。
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馬場小室山遺跡の件、感慨深く拝見しました。
埋蔵文化財の発掘調査、というものの現状が、結局のところ、開発に伴う緊急調査という形態をとることが殆どであって、その性質上、工事の納期、あるいは予算上の理由から調査終了期限が設定されてしまい、調査中に新たな進展や、より精細な調査の必要性が生じてもそれを行うことが困難であるということが、顕著になった例だと思います。
調査には予算という名の「お金」が必要であって、その「お金」が総てみたいな世知辛いこの世の中で、経済効果というものを生むことのない学術調査に、資金提供をしてくれる企業・団体・官公署が少ないのもあるいは仕方ないことなのかもしれませんが・・・
破壊されてしまえば二度と戻ることのない貴重な文化遺産を、とてもないがしろにしているような現在のあり方に対しては、心から残念に思っています。
どうか馬場小室山遺跡に対して十分な調査がなされ、その成果がしっかりと後世に残るようにと願っています。
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1756. 井野長割遺跡の保存 kagokaki 2004/10/27 (水) 14:49
馬場小室山遺跡での鈴木先生達による保存運動には頭がさがります。
私の住む地域の「井野長割遺跡」ですが、遺跡を大きく取囲んだ宅地開発事業が本格的に動き始め、来月からは余った土砂13万立方メートルを運び出すダンプの運行計画が示されましたが、我が家の前の狭い市道とユーカリが丘団地内を1日200台も通すという計画に驚いて、自治会では急遽運行計画の反対運動に立ち上がりました。
遺跡は環状盛土遺構のある部分を含めおよそ2haほど残すそうですが、市の文化課に確かめたところ、まだ業者と交渉中ではあるが、応じなければ全体計画を認めない方針とのことで、これまで発掘調査の実績もあるためでしょうか頼もしい返事でした。それにしても2haだけでカバーできるのでしょうか。既に国へ遺跡保存指定を申請していて年度内に決めたいとのことでした。国の審査を通すには、なによりもデータの蓄積が大事なそうです。さいたま市は、それ以前の問題で前途は厳しいですね。
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1772. 11/3の馬場小室山 さわらびY(ゆみ) 2004/11/03 (水) 23:01
今日は、八千代市郷土歴史研究会のフルルガーデン八千代でのイベント参加とかけもちで、さいたま市の三室へ行ってきました。
浦和くらしの博物館民家園で旧武笠家表門を拝見してから、氷川女体神社を拝観し、遅めのお昼にしようとうどん屋さんへ入ったところ、鈴木正博先生と偶然合流、馬場小室山では飯塚氏ともお会いでき、工事の進行状況を見てきました。
中学校側の入り口は壁を作るための基礎工事が進んでいますが、南側の盛土はまだ土取されていません。
住宅はひな壇になるようで、遺物がたくさん眠っている未調査の南の盛土はもしかしたらそのまま住宅の地面になる可能性もあり、その家を買った方は遺跡の上に住む贅沢が味わえるかもしれないと、希望的観測の冗談を飛ばしながら、着実に進む工事に胸を痛めてきました。
飯塚氏が、馬場小室山遺跡概念図をきれいにプリントして「盛土遺構」のPR用看板を現地に立てる準備をしてくださっていました。
とにかく重要な遺跡なのだと知っていただくことが大事ですね。
鈴木正博先生ご夫妻、飯塚様、いろいろとありがとうございました。
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1775. 「歴史の中の馬場小室山とその周辺Ⅰ」をUPしました さわらびY(ゆみ) 2004/11/06 (土) 11:05
「歴史の中の馬場小室山とその周辺Ⅰ」をUPしました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/omuroyama3.htm
馬場小室山遺跡の考古学的評価は、考古の先生方にお任せするとして、遺跡の持つ歴史的な経緯と景観を考察したいと思っています。
遺跡は、人々の生活の営みの中ではぐくまれてきた歴史的遺産です。
畑や山林の中の縄文遺跡や古墳も、一見長い歴史の中で忘れられてきたように見えますが、石神や小さな祠を祀り、その時代にあった形で大切にされてきました。
「縄文遺跡のある風景 in印旛沼南岸台地の遺跡群」もそのような視点ではじめたシリーズですが、さいたま市の馬場小室山に危機が迫る中、この遺跡ももう一度この原点に立ち帰って見つめなおしてみたいと思います。
プロジェクトZ、それは終わりでなくZeroからの出発!
人々と歴史と生活と共にあり続ける遺跡の姿を見つけていきましょう。
地元の皆様、いろいろお教えください。
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1780. 現地に『「環状盛土遺構」の立て札』! さわらびY(ゆみ) 2004/11/09 (火) 20:08
HP「ばんばおむろ山」の管理人の飯塚さんが、現地に『「環状盛土遺構」の立て札』を設置なさいました。
http://www2.gol.com/users/iizuka.kuniaki/04.11.05.%8A%C5%94%C2.htlm
当方の「5馬場小室山遺跡のすがた」に載せた「馬場小室山遺跡概念図」を使っていただき、感激です。
この概念図は、まだ遺跡の状況について断片的な情報しかなく手探りの状態でいた時、まだお会いしてもない鈴木先生から、何回かのメールの往復でお教えいただいて作成したものです。
3日に飯塚さんにお会いしたとき、試作のプリントを持っていらして、「これは、近所の人達が自分の家がどこかもわかるので、見てくれるでしょう」とおっしゃっていましたが、大勢に見ていただけるといいですね。
現在、この空撮写真の「遺跡の範囲」の史跡や村里の風景を、「歴史の中の馬場小室山Ⅱ」で取り上げてみようと、もっか作成中です。
あさって、仕事の関係の学会で広島へ行く予定、その他来週末の郷土史展準備など大忙しでUPは遅れるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
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1795. 11/18の鈴木先生発信メールをぜひお読みください さわらびY(ゆみ) 2004/11/18 (木) 19:39
昨日の朝日新聞の記事掲載と期を同じくして、関係者への鈴木先生からのメールご覧になりましたか。
・2004年11月18日 【市教委による文化財保護法遵守対応の件】
・2004年11月18日 馬場小室山遺跡の工事に関わる「行政の責任」の件
さっそく「馬場小室山遺跡・緊急特設」ページに、あるけ~さんがUPしてくださったので、ぜひお読みください。
http://chiba.fc2web.com/bbo/
やっと市が、「行政の責任」で誠意をもって対応していくことが確認されたこれまでの状況からは画期的な内容のメールと、市教育委員会への書簡です。
「行政の責任」という当たり前のことを、認めていただくまでの鈴木先生、飯塚さん、市議や専門家の皆さんの「情熱」をあらためて称えたいと思います。
といっても、私たちにとってこれまで以上に『「行政の責任」の監視とともに、馬場小室山遺跡の重要性を周知させる活動』が重要なことですね。
本HPの遺跡の持つ歴史的な経緯と景観の考察のシリーズも3回に分けて、とりあえずUPし終えました。
書きながら、市役所や市教委の一般職員の方々に見ていただけたらと思っていました。
晩秋の馬場小室山、時間が許せば行きたいですね。
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1799. 23日馬場小室山に行ってみませんか さわらびY(ゆみ) 2004/11/20 (土) 21:47
本日は、八千代の郷土史展へお越しくださいまして、ありがとうございました。
会場を閉めるとき、ご来場者カードを見て、「さわらび通信」をご覧くださってご来場いただいた何人かの方が居られたことにきづきました。
せっかくおいでいただいたのに、忙しさにご挨拶もできず、たいへん失礼しました。
明日は9時から16時までの予定ですので、お時間があったら覗いてみてください。
ところで、23日の休日は馬場小室山に行ってみませんか。
武蔵野線東浦和駅に午後1時待ち合わせとします。
よろしかったら、同行希望の方はメールください。
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