2008.5.7〜2008.7.27
By.さわらびY(ゆみ)

=姿を現した八千代市平戸台8号墳=
その発掘調査と見学ルポ 
No.1  

 八千代市北西部の平戸台道地遺跡には印旛沼に面して古墳群が点在していました。

 8基の古墳、その中で唯一、完全な姿をとどめていた平戸台8号墳が、資材置き場になるための開発に伴い、2008年4月末から緊急発掘調査が始まりました。

 千数百年の長きにわたって伝えられ、今、保存されることなく、その姿を消そうとしている古墳。
 せめてその調査の過程をつぶさに観察し、その調査成果を市民や研究者で共有することが、消滅していくこの遺跡と、その調査にかけた熱意と労力に報いることと考え、調査担当者の同意をいただき、各研究団体・市民グループの皆様をお誘いして、調査現場に日参しました。

 そのドキュメントを、ホームページでお伝えします。

2006年6月、平戸台8号墳が、まだ手つかずのころ
 さてこの平戸台8号墳は、一昨年(2006)の6月、大塚初重先生と八千代市の遺跡と古墳巡りの見学会をした際、藪こぎで実踏した思い出深い円墳でした。

 またすぐ近くの平戸台2号墳では、平成11年の調査で石棺内から15体分以上の人骨、鉄製直刀、ガラス製玉類がなど出土しています。
これらの遺物も一昨年(2006)、大塚先生に直接ご覧いただき、その見方やその考古学的な意義をお教えいただきました。

 2008年5月初め、平戸台8号墳も、古墳時代後期の2号墳と同じく石棺が検出されそうだという現場からのお知らせが届きました。

 まずは、2006年の懐かしい画像から、お伝えします。


大塚初重先生と平戸台8号墳の眠る森に向かう 2006.6.7 

密林?を藪こぎして平戸台8号墳に立たれた大塚先生

平戸台2号墳出土の太刀について大塚先生の説明  2006.6.7


2008年5月7日 平戸台では8号墳の調査が始まっていました


 平戸台8号墳の前の新県道から、新川・米本方面を望む。
田植えの季節、印旛沼干拓でできた田圃には水が満々と張られ、 往古の印旛沼の水面を思わせる風景が広がっています。


2008.5.7 下草が刈られ姿を現した8号墳の墳丘。
高さの低い円墳で、南側の裾のトレンチからは石棺の蓋がのぞいています。

2008.5.17 八千代市郷土歴史研究会が平戸フィールドワークで8号墳を見学
5月17日(土) 八千代市郷土歴史研究会では、5月例会として 「旧村の今 平戸村の総合研究」のための現地学習を行い、現地講師に常松氏(八千代市教育員会)にも参加いただき、発掘調査中の平戸台8号墳をはじめ、埋蔵文化財発掘調査からわかった平戸台古墳群など古代平戸地域について、ご案内いただきました。

平戸台8号墳の調査現場は、二十数名の見学者に、調査開始以来、初めてのにぎわいでした。

「この浅い溝が墳丘を一周する周溝です」

「このシートの下に石棺があります」
   
2008.5.17 主体部の石棺の場所が明らかになりました  (右は姿をみせた石棺の蓋)



2008.6.1 梅雨のころの平戸台8号墳


2008.6.18 さわらび考古学教室見学会で、大塚初重先生にお出でいただく
この日、大塚初重先生もご一緒に、「さわらび考古学教室・印旛沼周辺の終末期古墳を知る」見学会一行21人が調査現場を訪れ、大塚先生からこの古墳の特徴など、講義いただきました。
この日のルポと大塚先生のお話は ⇒6月18日の平戸台8号墳見学ルポをご覧ください。

さあ、これからいよいよ石棺の蓋が開けられます
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