2003年夏
第1日目 8月19日 (火)
金海国際空港に着くと、ちょうど ユニバシアード大会の中国選手団が到着 |
「加羅」のクニへ
今年は加耶(伽耶)に行こうとTに言われ、なにかとても近くて、それでいて遠いおとぎ話の国に行くような気がしました。
そういえば、「日本書紀」では「加羅」の国。
「からくり」 「からいと」 「からいも」 「からゆきさん」・・・、
「から」という響きには、「韓」とか「唐」の字ではあらわせないような海の向こうの不思議な世界があり、この列島のわが祖父母たちもまた最近までその様にイメージしていたように思えます。
その「から」のクニは、千七百年前、玄界灘の対岸に固有名詞としてあったのでした。
「加耶」の遺跡が注目されたのは、ここ数年のこと。
講演会や歴博国際フォーラムで何度か耳にした釜山の福泉洞、金海の大成洞、陜川の玉田古墳群・・・。
そしてそこで見つかった金冠、馬具、馬冑、帯金具などなど。
海路ではなく、千葉の空から訪れた旅の入り口でしたが、私にとっても、いにしえ人の如き「加羅」体験の旅が始まりました。 (By.Y)
福泉洞古墳群、そして右のドームが野外展示館 雨が上がり、雲のかなたに釜山北部の山々が姿を現した。 |
|
トンネの街を望む古墳群。 黄楊の木を植えて墓のあったところを示している |
福泉博物館 1996年にOPENしたばかり |
福泉洞古墳群
出発の日(19日)の日本は雨。
傘を持ったまま飛行機に乗り込み、雨の釜山に具合がいいと思っていたのですが、思いがけず、天候は良好。予報は外れていました。
最初の見学地は福泉洞(ポクチョンドン)古墳群、洛東江を渡り釜山広域市トンネ区にあります。
事前勉強会で鈴木先生から教えていただきましたが、大成洞が発見される以前から発掘されていた古墳群で、我々見学者にはありがたいことに、野外展示館・博物館が完備されています。
博物館の学芸員は説明時間も惜しいような忙しさの渦中のようでした。
なぜか他の見学者が見当たらず、貸しきり状態。 でも写真を撮るわけにもいきませんので、図録を求めたのですが日本語版がなく、やむなくハングルのものを購入。そのかわり日本語の小冊子を頂戴しました。
お目当ては馬冑(10号墓出土)でしたが、レプリカとのことです。本物はどこにあるのでしょう?
蛇行状鉄器もならべられていましたが、図録を見直してみると玉田M3号となってました。
轡は福泉洞10号、鞍驕が池山洞45号、剣菱型杏葉、馬鈴が玉田M3号、等々記載があります。(By.T)
ドーム型の野外展示館では、53号墓・54号墓の発掘されたままの状態が観察できる
53号墓の土器群
Yは、珍しい履物形土器に目がひかれた。
この形と同じ、藁のサンダルを、釜山市博物館の民俗展示で見つけた。
今も韓国の履物の形は同じらしい。
加耶は、鉄(かね)のクニ
石槨墓の内部にはたくさんの鉄製品が
富の象徴として副葬されていた。
釜山市博物館へ
この日は釜山市博物館も見学コースになっていましたが、交通事情のせいもあって夕刻到着、あわただしい見学でした。
古代を見終わったところで、居合わせたボランティアガイドのおじさんが、近代まで熱心に説明してくれました。
トンネは秀吉軍最初の上陸地でもあり、交流史の面では考えさせられる地です。
旅は始まりました。 (By.T)
釜山市立博物館
石造如来像(9世紀新羅)
博物館野外展示
釜山博物館は、旧石器時代から現代そして民俗までオールマイティーの展示ですが、特に朝鮮通信使などの日本との交流や不幸な戦の歴史を日本人にもわかりやすく展示していました。
参考HPにリンク→ 「まるごと釜山」 「福泉博物館」 「釜山博物館」
私が目に留めたのは、三国時代に先立つ三韓時代(BC.2C〜AD.3C)ちょうど日本の弥生時代のころの、頭がややペチャンコな頭骸骨の展示でした。
そこには『魏志東夷伝』で倭の邪馬台国と並んで書かれている「弁韓人」の風俗について、『弁辰伝』からの次のような引用が添えられていました。
「生まれてすぐ石で頭を強く押さえて平たくしたという。今辰韓人の頭部は皆偏頭である。」
朝鮮半島南端部の偏頭の習俗も、倭人の刺青(黥面文身)とともに当時の中国の人にとって野蛮?な風習として思われたのでしょうが、その「偏頭」が考古学的に裏づけられたなんて、ちょっと刺激的でした。
意外というか、やはりというか、それにしても日本の古墳副葬品の主役たる埴輪はなかったですね。
装身具では、三韓時代の老圃洞遺跡出土水晶の勾玉(曲玉)がきれいでした。
そういえば、大韓民国の国旗の巴の文様は陽と陰の曲玉だとか。
新羅の金冠の硬玉の勾玉については、昨年の「韓国の名宝」展のポスターで印象深かったのですが、硬玉のは日本の糸魚川産で、倭との交易を示すとも言われましたね。
この形にどんな呪力が秘められていたのか、古代両国の人々の意識が知りたいと思いました。
民俗の展示はもっとゆっくり見たかった部屋でした。
福泉博物館で見た履物型土器とそっくりな藁のサンダルは、つい最近まで庶民の履物だったようです。
館の外には、やさしくほほえんだ新羅の石仏や石塔など。
これからの旅へ期待がふくらんできました。 (By.Y)