2004.5.30
5.31更新
By.ゆみ
谷中の長明寺の間宮氏墓地調査記録
2004年5月30日、八千代市郷土歴史研究会会員で、間宮庄五郎家の菩提寺である谷中の日照山長明寺を調査のため訪ねました
長明寺は、日暮里駅を降り、七面坂を下った寺町の中にありました。日蓮宗のお寺です。 |
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間宮家の墓地は、本堂の左手の整理された墓地内にあります 江戸時代風の宝篋印塔が2基並び、間宮庄五郎家の家紋である割菱紋が刻まれています その左に最近立てられた「間宮家の墓」という墓塔と、新しい塔婆があり、現在もその子孫の方によって供養されていました |
さっそく「寛政重修諸家譜巻第四百三十六 宇多源氏 佐々木庶流」の資料を片手に、宝篋印塔の陰刻された銘文を調べました
左の宝篋印塔の銘文 (塔身部分正面) 南無多寶如来 南無妙法蓮華經 南無釈迦牟尼佛 (基礎部分正面 ほとんど見えません) 本地院殿 日蔵居士 本光院妙端日如大姉 □□院殿信敏顕理日妙居士 霊妙院殿信理法音日察居士 智進院妙養大姉 (注・・「日蔵」は五代「信明」の法名) (基礎部分左面 ここも読みにくい) 元録七年九月 元録二年三月 安政六年十月廿五日 明治十五年五月五日 明治世三年十月廿三日 (「世三年」は「丗三年」のこと これらの年月日は正面の戒名に対応する命日らしい 日藏居士=元禄7年死去の信明公は、諸家譜では23歳で夭折したとのこと) |
銘文の記録はkagokakiさんに 担当いただきました |
右の宝篋印塔 (塔身部分正面) 經 (基礎部分正面) 寛文十一辛亥年 寶林院殿光惠日珠 正月上旬五日 (「日珠」は、三代「正勝」の法名) (基礎部分背面) 宇田源氏佐々木末孫 間宮庄五郎 正勝 六十九歳 □去 孝子 間宮八太夫信之 (基礎部分左面) 白水間宮君之 □夫人春日氏 明治三十一年 十二月三十日 合葬 (「白水」は、士信公の雅号) |
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