2002.9.21 By.ゆみ

8月22日(木)午前

古代の都城址探索アドベンチャーツアーT

阿房宮遺址前殿〜秦阿房宮〜前漢長安城・建章宮遺址前殿


 前日(21日)の夕方、大慈恩寺の隣の唐代芸術博物館唐大明宮の復元模型を見た。
 現地はもしかしたら漠然とした土の丘、想像力には限界があるので、しっかり見てイメージをつかんでおこうという団長のY先生の計らいだった。
 
 明けて22日、今日は今回のツアーのテーマである都城址の探索とか。
 けっこう歩くかもしれないので、しっかり足ごしらえを、ということだった。

 まず秦始皇帝の造ったというかの有名な阿房宮。項羽が焼き尽くすのに30日以上かかったという規模の宮城、さぞかしりっぱな公園?という先入観があったせいか、バスが西安の街外れの農家の路地前に止まったときは、意外だった。
 農家の立ち並ぶ路地を歩いて、そそり立つ崖を見た。「阿房宮遺址前殿」と記された石碑。その周りはごみの山。ええっ!ここが阿房宮?
 一見ただの崖に見えたが、よく見ると版築で、この崖の上にりっぱな前殿があったらしい。

 西安近郊の農村 この先に遺跡がある。
保育園から子供の歌が聞こえて来るが、
塀が高く中は見えない。

一見ただの崖に見えたが、よく見ると版築。
崖の上にりっぱな前殿があったらしい。

「阿房宮遺址前殿」と記された石碑。
その周りはごみの山



ここが版築の角?
子供たちはこの先の2mぐらい低い路地から
自転車を持ち上げてやってきた。

この農道を登ると、広い畑に出る
「ごみを捨てるな」と書いてあるらしいが、この有様

 崖の上は畑
よく見ると足元に瓦のかけらが落ちている
 
 農道をたどって崖の上に上がる。収穫が終わって広々とした畑、徐先生が瓦のかけらを拾って見せてくださった。足元をよく見るとけっこう落ちているのだ。阿房宮の瓦らしい。
 どこまでが宮城だったのか、地平線のむこうに大きな屋根がかすんで見える。ロケ用に復原された
「秦阿房宮」(阿房宮縮微園)、観光用のテーマパークらしい。その先もずっと阿房宮?
 どんな丘陵もすべて耕してしまうお国柄、2400年間も耕し続けて、今や遺跡のおもかげは無くて当たり前なのかもしれない。
 前日、宮城模型で予習したわけがなんだかわかってきた。今日はそんな都城址を探す一日になりそう。


 



「秦阿房宮」
これがさっき見た前殿の復原された姿!
 


秦の貴婦人?
 フィールドワークで困るのは、トイレ。
 本当はコースに入っていなかったけ
れど、その目的もあって「秦阿房宮」
なるレジャーランドに入ってみることに
した
 
 西安の新しい観光スポットで、展望も
遊びもビッグだが、入場料が68元という
のは西安のファミリーにはきっと高いよ
ね。

 
ショーのビデオクリップ再生



 「秦阿房宮」からバスで少し行った「三橋鎮」の道端に小高いマウンドがある。ここも阿房宮遺構の一部らしい。
 草むらに瓦のかけらが落ちていたりして、こんな藪漕ぎの遺跡探訪も面白い。

 次は漢長安城の建章宮。またまた農村の路地を歩き、村人に道を尋ね、村の老人センター?というところに案内してもらった。
 村の路地の突き当たりのやや高い広場に石碑と、集会所ような家や、鐘がある。
 なんと石碑は漢長安城の建章宮の場所を示し、裏にその由来を記したものだった。
 おばあさんが一生懸命説明してくださるが、北京語を話す徐先生にも陜西省なまりは通じない。
 子供も寄ってきて、西安のガイドさんを介しみんなでわいわい陜西語と日本語で話しかけているうち、心と心が通じて楽しい国際交流の場になってしまった。
 昼食の時間はとっくに過ぎているのに、村の人たちと別れがたく、つい長居をしてしまった村だった。

石碑の後ろの黍畑が
前漢長安城の建章宮の址

ガイドの劉さんに説明をする村の人
足元には遺構の石も多目的に置いてある

石碑の裏の説明を子供も教えてくれる
「うん、なるほど、ここが建章宮か」

一族が集まってきた。そしてうしろの「老人センター」なる建物にも「入ってみて」と言っている。

集会所のような建物の中は、おばあさんたちが
寄り合いをしながらお祈りする仏堂だった。

 再見!ありがとう皆さん

この日は長かった。ここまでが昼食前の見学。ページが重くなるので午後の部は→次ページに